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五月人形は、なぜ飾るのでしょうか?
5月5日は端午(たんご)の節句。
男の子のお祝いの日です。
鎧や兜などの五月人形を飾って、健やかな成長をお祈りします。
このような風習はいつ、どのように始まったのでしょう?
五月人形の由来をご紹介します。
古くから、災いは家の外から侵入すると考えられており、江戸時代、武家では災いを防ぐために、玄関前に幟(のぼり)や長刀(なぎなた)等の武具を飾る風習がありました。
また、将軍に世継ぎの男の子が誕生すると、お城の中に幟や鎧(よろい)、兜(かぶと)を立てて、盛大にお祝いしました。
命を守る鎧兜を飾ることで、病気や災厄から、大切な男の子を守ることができると信じられていたのです。
この文化はやがて庶民にも広まっていきます。
武器をもたない町人は、紙などで作り上げた兜や長刀を家の中へ並べたり、玄関前へのぼりを立てるようになりました。
これが、五月人形のはじまりと言われています。
現代では、鎧兜の他に、金太郎や大将人形などいろいろな種類の五月人形が飾られるようになっています。
五月人形は、さまざまに発展しながら、男の子の赤ちゃんの無病息災と、健やかな成長への願いをこめて、現代へと受け継がれてきたのです。
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端午(たんご)の節句とは何ですか?
5月5日、男の子のお祝いの日である「端午(たんご)の節句」。
端午ってどういう意味?
そしてどのように始まったのでしょう?
そもそも、端午(たんご)の日というのは、五月の端(はじめ)の午(うま)の日 という意味です。
古くは奈良・平安時代、宮中では、この日に薬草の菖蒲(しょうぶ)やヨモギをつかって、厄払いの儀式を行っていました。
香気の強い菖蒲やヨモギは、病や災厄を避けるとされ、端午の節句は別名「菖蒲の節句」と呼ばれていました。
鎌倉時代には、菖蒲(しょうぶ)の音が、武道を重んじるという意味の「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、武家の間で、端午の節句を大切にする気風が生まれました。
さらに江戸時代になると、5月5日は幕府の重要な式日と定められ、この日に大名や旗本が将軍にお祝いを述べに参じるようになりました。
また、将軍に跡継ぎの男の子が誕生すると、兜(かぶと)やのぼりを立ててお祝いをする習慣が生まれました。
それはやがて庶民の間にも広まり、端午の節句は、現在のような男の子の誕生と成長をお祝いするお節句になっていったのです。
長い歴史の中ではぐくまれた端午の節句、日本の大切な生活文化として、引き継いでいきたいものですね。
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五月人形 飾り方とは、どのようなものですか?
男の子のおまもり、五月人形。
5月5日の端午(たんご)のお節句を迎えるにあたって、いつ、どのように飾ったらいいのでしょう?
飾る時期や、飾り方の気をつけたいポイントをご紹介します。
五月人形は一般的に、春分の日を過ぎたころから4月中旬頃までに飾ります。
飾り付けの方角には、特に決まりはありません。
ただし、兜(かぶと)飾りや鎧(よろい)飾りの場合、飾る場所を決めたら、その場所で組み立てましょう。
一度飾り付けたものを持って別の場所へ移動すると、落下して破損したり、ケガをすることがあります。
また、着用タイプでないものは観賞用に作られています。
お子様がかぶると、重かったり、内側にとがった部分があったりと、大変危険ですので、ご注意ください。
また、「外飾り」と呼ばれる鯉のぼり、武者絵のぼりにも、様々な種類があります。
ポールが自立するスタンドタイプや、地面に杭を打ってポールを立てるタイプ、ベランダに取り付けるタイプでも、ベランダが格子かどうかで金具の形式が異なるなど、様々な種類があります。
ポールが別売りのものもありますので、よくご確認くださいね。
五月人形の飾り方は、商品や地域によって細かに異なるものです。
また地域性もありますので、お住まいの地域にご両親やご親せきの方がいらっしゃる場合は、聞いてみるのもいいですね。
安全に気をつけて、楽しくお飾りください。
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五月人形の「内飾り」「外飾り」の違いとは?
男の子の節句、5月5日の「端午(たんごの節句」には、五月人形を飾ってお祝いをしますね。
皆さんのお家では、鎧(よろい)や兜(かぶと)を飾るでしょうか、それとも鯉のぼりや武者絵のぼりを立てるでしょうか。
実は、鎧や兜など、家の中に飾るものを「内飾り」、鯉のぼりや武者絵のぼりを「外飾り」と呼びます。
それでは内飾り、外飾りは、どのようにして生まれたのでしょうか。
内飾りである鎧・兜飾りの始まりは、江戸時代にさかのぼります。
江戸時代の武家では、跡継ぎの男の子が生まれると、鎧兜やのぼりをたててお祝いをする風習がありました。
当時、鎧兜は、自分の命を守ってくれる、とても神聖なものでした。
鎧兜を飾ることで、その神聖な力にあやかって、男の子を病気や災厄から守る意味がこめられていたのです。
その風習がやがて庶民の間にも広まって、男の子を守ってくれるお護りとして、現代でもお節句に飾るようになりました。
一方、外飾りである、鯉のぼりや武者絵のぼりはどうでしょう。
日本ではもともと、男の子が生まれたことを神様に知らせる「目印」として、玄関前に「のぼり」を立てる風習がありました。
江戸時代になると、これらが発展し、前述のように武家では男の子の誕生を、のぼりをたててお祝いをしました。
のぼりには当初家紋が入れられていましたが、そのうち戦国武将の合戦の様子を描いた「武者絵のぼり」が人気を博し、様々な図案が考案されました。
その図案の1つに、鯉を描いたのぼりが登場したのが、現代の鯉のぼりの始まりとされています。
鯉は、中国の故事で滝を登って龍になるという「登竜門」伝説にちなみ、立身出世の象徴でした。
また、鯉のぼりは生命力が強い魚であることから、縁起のいいものとされたのです。
こうして鯉のぼり・武者絵のぼりは、神様へ男の子の誕生をお知らせして、男の子が身を立て健康に育ちますように、と祈願し、飾られるようになりました。
現代ではご家庭に合わせて、内飾り・外飾りを組み合わせたり、様々な飾り方が広まっています。
また、お住まいの場所によっては、兜・鎧飾りを飾るところ、鯉のぼりを飾るところ、武者絵のぼりを飾るところ・・・など、地域性があることも。
お住まいの地域にご両親やご親せきの方がいらっしゃる場合は、聞いてみるのもいいですね。
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五月人形は誰が買うものですか?
5月5日は男の子のお節句です。
初節句をお迎えになるお宅では、五月人形のご検討をされている方も多いことと思います。
ひょっとしたら、赤ちゃんのご祖父母から、ご購入のお申し出があった方もいるかもしれませんね。
それでは五月人形とは、本来、誰が用意するものなのでしょうか?
五月人形は、以前は母方の祖父母から贈られるのが一般的でした。
最近では、家族の形態も多様化しており、両家の祖父母で折半したり、費用を祖父母に出してもらって、五月人形は赤ちゃんのご両親が選ばれる場合、祖父母に頼らないで、赤ちゃんのご両親のみで用意する場合など、贈り方もさまざまです。
また地域によっては、鯉のぼりは母方、鎧兜は父方で用意するところ、鯉のぼりの鯉部分とポールの部分に分けて折半するところ、跡取りという意味で父方の祖父母が用意するところなど、さまざまな風習があり、これが正解と決まった形はありません。
ご家族でよく話し合って決められるのがよいでしょう。
端午の節句は、お子様の健やかな成長と、幸せを祈願するものです。
五月人形を贈りたいという気持ち、みんなでお祝いをする気持ちが、赤ちゃんにとって何よりの贈り物です。
「誰が贈るか?」にとらわれることなく、ぜひ皆さまで相談し合い、これぞ、と思える納得の五月人形をお選びくださいね。
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五月人形を飾る時期は、いつからいつまで?
5月5日の端午の節句。
男の子の初節句は、五月人形を飾ってお祝いをしますね。
五月人形はいつからいつまで飾るのでしょうか?五月人形飾る時期 について、ご紹介します。
五月人形は、3月20日から21日の春分の日を過ぎてから、4月中旬ごろにかけて飾るとよいでしょう。
遅くとも、4月末までに飾り付けるのが望ましいですね。
できれば早めに飾り付けて、当日のお節句までのワクワクした気持ちを楽しみたいものです。
五月人形 いつしまう かというと、5月5日の端午の節句を過ぎて、カラッと晴れた日にしまうとよいでしょう。
雨の日など天気の悪い日は、湿気をいっしょに閉じ込めてしまい、カビやサビなどの原因になります。
時節柄、梅雨入りが近づくと、天気も不安定になりがちなので、入梅までにしまいましょう。
しまう際は、羽バタキなどを使ってホコリをはらい、金具は乾いた布でふきます。
お人形の顔は、手で触れると手の脂がついてしまいますので、直接触らないようにご注意ください。
箱に入れて、直射日光があたらず、時々風通しのできる場所に保管するのがおすすめです。
鯉のぼりは、片付け前によく干して乾いた状態にして、同様に片付けましょう。
五月人形は毎年飾ることが大切です。お子様の健康や成長を祈願する大切なものですから、また来年きれいな状態で飾れるよう、丁寧に片付けたいですね。
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かぶって楽しい!着用兜はいかがですか?
5月5日の端午(たんご)の節句、どんな兜を買うか、もう決まりましたか?
どれを選べばいいか迷ってる!そんな方には、実際にかぶれる本格的な「着用兜(ちゃくようかぶと)」がおすすめです♪
着用兜は、3歳から7歳のお子様にかぶっていただけるよう、軽量に安全に作られた兜飾りです。
種類もとても豊富!例えば、
伊達政宗や、徳川家康、上杉謙信などの人気武将、さらに、大河ドラマ化が決まった真田幸村などをモチーフにしたものもあるんです。
武将に扮した勇ましい姿が、記念撮影にもぴったりなので、近年、人気上昇中です。
着用サイズは、通常の兜飾りより大きいため、飾った時の存在感もバツグンです。
屏風や弓矢など、付属の品や飾り台にも趣向を凝らしているものが多く、通常の鎧(よろい)飾り、兜(かぶと)飾りにも引けをとりません。
さらに近年のコンパクト流行に応えて、収納台と飾り台がいっしょになった収納型タイプや、ケースの中に兜が入っているケース飾りも登場しています。
ご家庭の収納事情に合わせて、いろいろ選べるので、ぜひお気に入りの一品を探してみてくださいね。
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兜や鎧の収納飾りとは、どんなものですか?
さまざまなタイプが売られている五月人形ですが、近年人気なのが「収納飾り」です。
その特徴はずばり、収納箱と飾り台が一体化しているという、コンパクトな作りにあります。
兜(かぶと)や鎧(よろい)を飾りたいけれど、しまう場所がなくて困っている・・・という、お客様の声に応え、兜や鎧、左右に飾る弓太刀などを、飾り台の中に収納できるよう作られたのが、「収納飾り」です。
兜を置く飾り台が、収納箱として使え、兜本体の他、弓太刀や屏風(びょうぶ)まで、すべて箱に収納できるものもあれば、屏風だけ箱の上に畳んで置くタイプもあります。
どちらも大変コンパクトになるため、片付けの際は場所を取らないのが特徴です。
まさに、昨今の住宅事情を反映した商品と言えますね。
また、コンパクトと聞いて、飾り映えしないのかな?と心配になる方もいらっしゃるかも知れませんが、最近では、お子様が実際にかぶれる着用サイズの大きい兜でも、収納飾りが登場しています。
また、彫金細工をほどこした豪華なデザインの兜や、収納箱を手間暇のかかる塗りの技法で美しく仕上げたものなど、重厚さ、躍動感はそのままに、迫力ある商品がたくさんありますので、ご安心くださいね。
収納箱に使用される木材も様々ですが、特に桐製の収納箱は、燃えにくく、湿気に強いという特性を備え、長期保管にピッタリです。
他の材質に比べ軽いのも嬉しいですね。ぜひ、ご検討ください。
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五月人形一番人気!武将、伊達政宗とは?
戦国の英雄、伊達正宗(だてまさむね)公。
大河ドラマやゲームでもおなじみの戦国武将です。
もちろん、五月人形の武将シリーズ(戦国武将をモチーフにした甲冑飾り)においても、とても人気の高い武将です。
さて、伊達政宗公とは、どのような人物だったのでしょうか?
幼少期の伊達政宗は「梵天丸(ぼんてんまる)」と呼ばれ、内気で他人の前にでることも恥ずかしがるような、控えめな少年だったといいます。
それが、重心の一人である片倉景綱(かたくらかげつな)により才能を見いだされ、徐々に学力と兵力を身に付けていき、東北に一大勢力を築くまでとなったのです。
後には、天下人である豊臣秀吉や徳川家康とも渡り合い、詩歌や書、能、茶道等の教養においても、当代において一級のものでした。
そんな伊達正宗の甲冑は、「弦月前立(ゆみづきまえだて)」・「三日月形前立(みかづきがたまえだて)」と呼ばれる、非常に印象的な意匠で有名です。
兜(かぶと)の全面に、三日月のように鋭く細い前立てが配されているデザインで、「伊達兜」と呼ばれます。
文武に秀で、戦国の雄としてその名を響かせた伊達政宗公。
そんな伊達政宗にあやかって、お子様の初節句には、ぜひ伊達兜を飾ってみてはいかがでしょうか。
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五月人形で大人気!武将、上杉謙信とは?
現代でも大人気の戦国武将、上杉謙信(うえすぎけんしん)。五月人形における武将として、伊達正宗に次いで人気があります。
最近では大河ドラマやゲームでもおなじみですね。そんな上杉謙信公の、人気の秘訣とはいったい何なのでしょうか?
上杉謙信は、「毘沙門天の化身」「越後の龍」などという異名を持ち合わせ、義侠に富んだ数々の逸話を残した人物です。
戦国時代の最強の武将としても名高く、稀代の名将とも言われます。
内乱続きであった、越後国を統一し、産業を振興させることで国を繁栄に導きました。
宿敵である武田信玄と五度に渡り、川中島の合戦にて戦ったという伝説は、後世まで物語として描かれており、あまりにも有名ですね。
自らを毘沙門天の化身として、私心で領土を侵略する悪と戦ったとされ、勇猛果敢な人物であったことが知られています。
五月人形における上杉謙信の兜(かぶと)は、日輪三日月前立(にちりんみかづきまえだて)のデザイン。
三日月形の細く鋭い前立てに、中央に日輪を配した、とても印象的な兜です。
その意匠からは、強きを挫き、弱きを助くるという謙信の心優しさや意気込みが伝わってくるかのようで、お子様の初節句にもピッタリですよ。
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五月人形で大人気!武将、真田幸村とは?
大河ドラマで一躍、人気急上昇中の真田幸村(さなだゆきむら)公。
大河ドラマの他にも、小説やゲーム、漫画やアニメなどに登場し、現代でも根強い人気を誇る戦国武将です。
五月人形でも人気の高い真田幸村。一体どのような人物だったのでしょうか。
真田幸村は、真田十勇士を従え、徳川家康を最も追い詰めた戦名人として名高い武将です。
当時から、幕府や諸大名のみならず、広く一般庶民にも知られる存在でした。
そんな幸村が活躍した場として最も有名なのが『大阪夏の陣』で、あらゆる武具を朱塗りにして「真田の赤備え」と呼ばれていたことが知られています。
赤備えは高級であると同時に、武勇に秀でた精鋭軍団の証でもあったのです。
幸村の鎧兜(よろいかぶと)といえば、その赤備えに準じた鮮やかな朱色が特徴的です。
鹿角を模した大きな脇立(わきだて)、真田家の家紋である六銭文(ろくせんもん)の前立(まえだて)を配し、一度見たら忘れられない存在感で、五月人形においても根強い人気を誇っています。
沈着冷静で物静かながら、いざというときはカリスマ性をもって武勇を発揮した、戦国の名将、真田幸村。
そんな幸村公にあやかって、朱色の美しい五月人形を、お子様の初節句にご用意されてはいかがでしょう。
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五月人形の名匠、鈴甲子雄山とは?
五月人形の甲冑師として日本を代表する名匠、鈴甲子雄山(すずきねゆうざん)作家物の五月人形をお探しの方に、ぜひおすすめしたい作家の一人です。
経済産業大臣指定の伝統工芸士であり、節句人形コンクールにおいて、内閣総理大臣賞など数々の受賞歴を誇っています。
雄山の手がける甲冑の特徴は、重厚かつ威風堂々とした造りと、細部の繊細さにあります。
業界では技巧派として非常に名高く、不動の地位を築いています。
なかでも国宝や重要文化財の甲冑を実地に調べ、数々の文献資料を元に、日本古来の甲冑製作技術を忠実に再現した「国宝所蔵模写シリーズ」は、まさに感嘆の一言。
卓越した職人の息遣いを細部にまで感じさせる、見事な逸品ぞろいです。
また、五月人形のみならず戦国ファンにも大人気なのが、「戦国武将シリーズ」です。
今までに製作された戦国武将は、五月人形でお馴染みの人気武将、伊達政宗、上杉謙信、真田幸村、徳川家康、直江兼続などをはじめとし、源義経、織田信長、豊臣秀吉、黒田長政、本多忠勝、前田慶次、黒田官兵衛、井伊直弼、加藤清正、長宗我部元親、蒲生氏郷、片倉小十郎など、>五月人形では大変めずらしい武将に至るまでを、たいへん幅広く手がけています。
さらに、現在の四代目雄山は、『人形工房 壱三(いちぞう)』を立ち上げ、人気人形師としても活躍しています。
五月人形をより身近に親しみやすい存在にしたいとの思いから、手描き・手仕上げにこだわった『わんぱく大将シリーズ』は、男の子のお人形に、鈴甲子雄山作の本格的な鎧兜を着せつけて仕上げています。
一体一体を丁寧に手で描き上げられた表情は、今にも動き出しそうな生き生きとした魅力に溢れ、なんとも愛らしいですよ。
業界随一の技巧派、鈴甲子雄山の五月人形は、重厚かつ荘厳な甲冑飾り、かっこいい戦国武将や、愛らしい子供大将など、実に多彩で、それぞれに異なった魅力があります。
ぜひ、あなたのお気に入りの一体を見つけてください。
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五月人形の名匠、上原玉鳳とは?
江戸甲冑の名匠、上原玉鳳(うえはらぎょくほう)。
繊細で緻密な彫金細工が、女性にも人気の甲冑師です。
節句人形コンクールにて内閣総理大臣賞、文部科学大臣賞、都知事賞など数多くの受賞歴を誇っています。
玉鳳は、東京の人形師である家に生を受け、甲冑師(かっちゅうし)となるべく家業の世界へ入ります。
平成6年に、代々受け継がれた上原玉鳳の名を継承しました。
先代玉鳳の技術を今に受け継いで、兜(かぶと)の鍬形(くわがた)や吹返しなど、随所に華麗な彫金細工を施した作品を数多く製作しています。
その彫金細工には、自然の草花など日本の「花鳥風月」をテーマとし、なんとも繊細さの光る、玉鳳ならではの独特の世界観が感じられます。
また、色彩感覚の妙も玉鳳の特徴といえるでしょう。
見るほどに惹き込まれる、美しく堂々たる作品は、ぜひお子様のお節句にお迎えしたい一品ですよ。
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次男、三男の場合の、五月人形の準備とは?
5月5日は男の子のお祝い、端午の節句です。
この日に初節句を迎える赤ちゃんが、ご家族にとって2人目、3人目の男の子だった場合、ご長男の五月人形が、すでにお家にあることでしょう。
その場合のご次男、ご三男の五月人形は、どうするのがよいのでしょうか?
そもそも五月人形は、男の子の健やかな成長を祈願する反面、その子の受ける災厄を代わりに負ってくれる「身代わり」「お守り」としての意味がこめられています。
したがって、ご長男の五月人形を、ご次男、ご三男で共有することはあまり望ましくありません。
基本的には、「1人につき1つ」用意するのが本来の形です。
そうは言っても、ご家庭の事情によって、収納するスペースがないなど、ご長男と同じように用意するのは難しい場合もありますね。
そんなときには、値段や大きさを無理に揃えることはありません。
小さくてもそれぞれに、その子自身の五月人形を用意してあげることが大切です。
オススメなのが、コンパクトなケース飾りや、鎧姿のお人形・子供大将飾りや武者飾り、金太郎などです。
ちなみに、鯉のぼりの場合も同様に1人1つが基本ですが、こちらは鯉を一匹ずつ足していくという方法があります。
「おおきな真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子どもたち・・・」の童謡の通り、兄弟が増えるごとにカラフルな子どもたちの鯉が増えて、にぎやかに空を泳ぐ様子は、なんとも美しいものです。
お子様自身にとっても、「自分だけの五月人形」があるというのは、きっとお節句の喜びあふれる、特別な思い出となることでしょう。
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五月人形は、親や兄弟のものを使い回していいのでしょうか?
男の子の赤ちゃんが生まれて初めて迎える5月5日の「初節句」は、五月人形や鯉のぼりを掲げてお祝いをしますね。
でも、赤ちゃんのお父さんやお兄ちゃんの五月人形がすでにある場合、新たに用意するか悩む方も多いのでは?
五月人形って、引継いでもいいのでしょうか?
五月人形は、その子が無事に健やかに成長しますように、という願いをこめた、言わば「お守り」であり、その子の災厄を身代わりに背負ってくれる存在です。
したがって、誰かと共有するのは本来の形からは外れてしまいます。
基本的には「1人につき1つ」用意することが望ましいでしょう。
お父さんの五月人形がある場合には、親子の五月人形をそれぞれ並べて飾るのもいいですね。
ご兄弟の五月人形がすでにある、という場合も同様です。
値段や大きさを無理に揃えることはありませんが、小さくとも、それぞれにその子自身の五月人形を用意してあげましょう。
コンパクトでお手頃なケース飾りなどがオススメですよ。
ちなみに、鯉のぼりの場合も同様に1人1つが基本ですが、こちらは鯉を一匹ずつ足していくという方法があります。
お父さん鯉、お母さん鯉の下で、色とりどりの子ども鯉たちが悠々と風に泳ぐ様子は、皐月の空にきっと映えることでしょう。
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5月5日はどのようにお祝いしたらよいのでしょうか?
5月5日のこどもの日は、端午の節句。
男の子が、怪我や病気のないよう健やかに育ちますように、と祈願をし、お祝いをする日です。
では、具体的に何をすればいい日なのでしょう? 端午の節句は、どのようにお祝いをしたらいいのでしょうか。
まず、端午の節句には、男の子の健やかな成長を祈願して、鯉のぼりや五月人形を飾ります。
飾る時期は、3月20日から21日の春分の日を過ぎてから、4月中旬ごろにかけてがよいでしょう。
また端午の節句は、別名「菖蒲(しょうぶ)の節句」とも呼ばれます。
菖蒲は、古くから邪気をはらい、健康を保つ薬草として尊ばれてきました。
この時期に、菖蒲酒を飲んだり、枕に敷いて寝たり、菖蒲湯に入るなどは、古くからある邪気払いのならわしです。
現代でも、5月5日の時期になると、菖蒲の葉や根がお店で売られるようになります。
ぜひ菖蒲の根や葉を入れてお風呂を沸かし「菖蒲湯(しょうぶゆ)」に入ってみましょう。
血行促進や、爽やかな香りはリラックス効果もありますよ。
もし、男の子が生まれて初めて迎える5月5日、つまり初節句の場合には、両家の祖父母やお祝いを下さった方々をお招きし、贈り物を披露して、一緒にお食事をしお祝いしましょう。
定番のちまきや柏餅、天に向かってまっすぐ育つ竹にちなんでタケノコ、縁起のよいタイ、出世魚のブリ、勝つ男にかけたカツオなどがおすすめです。
お招きできなかった方には、子どもの名前で内祝いのお返しをするのがマナー。
お礼状にお菓子や赤ちゃんの写真を添えるのも、喜ばれることでしょう。
ご家族の皆さんで、男の子の成長を願い、お節句を楽しんでくださいね。
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五月人形はいつ買えばいいですか?お店選びのポイントは?
5月5日のこどもの日に飾る、五月人形。
いざ買おうとするも、いつごろが買い時なのか、どこで買えばいいのか、悩んでしまう方も多いかもしれませんね。
五月人形を買う時期と、お店選びについてご説明します。
五月人形は、3月20日から21日の春分の日を過ぎてから、4月中旬ごろにかけて飾るのが一般的です。
したがって、3月の初旬から、遅くとも4月中旬には五月人形を購入するのがいいでしょう。
できれば早めに準備し飾りつけて、当日のお節句までを楽しみに待ちたいですね。
3月3日の雛祭りが終わると、専門店でも一気に五月人形の売り出しが開始されます。
人気のある五月人形は早くに売り切れてしまうこともあるので、余裕をもって比較検討しましょう。
お店選びは、一番迷うところですね。
人形専門店、百貨店、量販店、赤ちゃん用品・玩具店などがあり、昨今では、それぞれが運営するインターネットストアから購入することもできます。
百貨店は著名な工房・作家ものなど、高品質な商品を揃えており、量販店や赤ちゃん用品店ではお手頃価格の商品が多いようです。
当社のような人形専門店は、長年の経験と豊富な知識から、幅広く様々な商品を取り扱っており、専門店ならではの品揃えが魅力です。
また、人気のある作家ものや百貨店に引けをとらない品質の商品を、工房から直接入荷しているため、比較的お求めやすい価格となっていることも大きな特徴です。
五月人形は、男の子の健やかな成長をお祈りする大切な守り神ですから、ぜひ納得のいくお店で、これぞという商品をお選びくださいね。
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子供大将飾りとは、どんなものですか?
五月人形には、兜(かぶと)や鎧(よろい)飾りなどの甲冑タイプの他に、人型(ひとがた)をかたどった、お人形タイプのものがあります。
お人形タイプの五月人形で、代表的なものが、「子供大将飾り」です。
「子供大将飾り」は、子供武者に鎧や兜を着せた人形のことです。
両脇に弓と太刀が添えられ、子供すがたの愛らしさと、勇ましい鎧の立ち姿とが合いまり、とても親近感の持てる五月人形となっています。
表情があるため、鎧兜などの甲冑(かっちゅう)は苦手、というお母さんにも人気です。
近年では特に、あどけなくかわいらしい表情のものが多く出ており、親戚からの贈り物の他に、ご次男やご三男のための五月人形としても注目を浴びています。
武具の意匠や大きさなど、バリエーションも豊富なため、お部屋に合わせたものを選ぶことができます。
また、子供大将飾りは比較的コンパクトなサイズが多いため、片付けや飾り付けもスムーズに行えるのも、人気の理由ですね。
兜や鎧飾りの隣に添えて、いっしょに飾るのもおすすめですよ。
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屋外の鯉のぼり、室内の鎧兜、どちらがいいのでしょうか?
5月5日の端午の節句には、室内に鎧(よろい)・兜(かぶと)、屋外に鯉のぼりや武者絵のぼりを飾ってお祝いをしますね。
鯉のぼりのように屋外に飾るものを「外飾り」、鎧兜のように室内に飾るものを「内飾り」といいます。
そもそも内飾り、外飾りは、どのようにして生まれたのでしょうか。
内飾りである鎧・兜飾りの始まりは、江戸時代にさかのぼります。
江戸時代の武家では、跡継ぎの男の子が生まれると、鎧兜やのぼりをたててお祝いをする風習がありました。
当時、鎧兜は、自分の命を守ってくれる、とても神聖なものだったため、その神聖な力にあやかって、男の子を災厄から守る意味がこめられていたのです。
一方、外飾りである鯉のぼりや武者絵のぼりはどうでしょう。
日本では古くから、男の子が生まれたことを神様に知らせる「目印」として、玄関前に「のぼり」を立てる風習がありました。
のぼりには当初家紋が入れられていましたが、そのうち戦国武将の合戦の様子を描いた「武者絵のぼり」が人気を博し、様々な図案が考案されます。
また、その図案の1つに、鯉を描いたのぼりが登場したのが、現代の鯉のぼりの始まりとされています。
鯉は、中国の故事で滝を登って龍になるという「登竜門」伝説にちなみ、立身出世の象徴でした。
こうして鯉のぼり・武者絵のぼりは、神様へ男の子の誕生をお知らせして、男の子が身を立て健康に育ちますように、と祈願し、飾られるようになりました。
現代ではご家庭に合わせて、内飾り・外飾りを両方飾ったり、ご兄弟で組み合わせたりなど、様々な飾り方が広まっています。
また、お住まいの場所によっては、飾り方や組み合わせに、地域性があることも。
お近くにご両親やご親せきの方がいらっしゃる場合は、聞いてみるのもいいですね。
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どうして5月5日に、男の子のお節句をお祝いするのでしょうか?
5月5日は男の子のお節句です。『端午(たんご)の節句』とも呼ばれますね。
では、どうして、5月5日に男の子のお祝いをするのでしょうか? その由来をご紹介します。もともと「端午の節句」の「端午」とは、文字通り5月の端(はじめ)の午(うま)の日を意味していたので、端午の節句とは必ずしも5日ではありませんでした。
また、端午の節句とは、古来の日本では、菖蒲(しょうぶ)をつんで玄関先につるしたり、菖蒲湯に入ったりすることで、無病息災を祈願する日でした。
菖蒲には独特の香気があることから、邪気をはらう力があるとされていたのです。
端午の節句は「菖蒲の節句」とも呼ばれるほど、菖蒲と縁の深いものでした。
奈良時代以降になると、端午の「午」が「五」と重なることから、端午の節句は、徐々に5月5日に定着していきました。
鎌倉時代には、菖蒲(しょうぶ)の音が武道を重んじるという意味の「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、武家の間で、端午の節句を大切にする気風が生まれました。
さらに江戸時代でも、端午の節句は尚武の節日として大切にされ、幕府は5月5日を重要な式日と定めました。
また、将軍に後継ぎが誕生すると、お城の玄関前へ、鎧兜(よろいかぶと)などの武具を飾ったり、のぼりを立てて祝うようになりました。
命を守る鎧兜を飾ることで、災厄から男の子を護り、のぼりを立てて天の神様に跡継ぎの誕生を知らせる意味があったのです。
このような文化は、やがて町民へも広がっていき、5月5日の端午の節句には、鎧兜を飾り、のぼりをたてて男の子の誕生と成長を願う風習が生まれました。
昭和23年には5月5日を「こどもの日」として、正式に国民の祝日と定められ、男の子のお祝いをする日として、今日に至るまで、広く親しまれるようになったのです。
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五月人形で大人気!武将、徳川家康とは?
江戸幕府を開いた初代将軍、徳川家康公。
誰もが知る歴史上の名将ですが、五月人形においても出世鎧の代表格となっており、大変人気があります。
徳川家康とは、どのような人物だったのでしょう?
徳川家康は、御存知の通り、戦国の世を生き抜いて天下を統一、江戸時代を築いた戦国大名です。
どっしりと辛抱強く知性に溢れた印象の家康ですが、「竹千代」という幼名で知られる幼少期は、お家騒動に巻き込まれるなどし、苦労を重ねました。
しかし、時を同じくして生まれ合わせた織田信長、豊臣秀吉らと共に、自ら運を切り開き、長きにわたる戦乱の世を終焉へと導いていきます。
その最中にも、お家の存続の為に妻子を失うなど、幾度と無く困難に直面しますが、数々の戦を経て、ついに天下分け目の「関ヶ原の戦い」に勝利、260年にも及ぶ泰平の世を築き上げたのでした。
そんな関が原の戦いで、徳川家康が身につけていたのが「歯朶具足(しだぐそく)」と呼ばれる鎧です。
家康が夢で見たことにより、職人に作らせたとされるこの鎧は、関ヶ原の戦い、大阪の陣において勝利をもたらし、「吉祥の鎧」として尊ばれました。
兜の前立てには、生命力の強さを意味する歯朶(しだ)の葉、中央に雄々しい獅子と日輪を配した、なんとも勇壮なデザインが特徴的です。
家康は、律儀で忍耐強い性格であったとされています。
不遇の幼少期から培われたであろうその粘り強さと、状況に対する的確な判断力ゆえに、多くの大名らに尊敬され、信望されていました。
そんな稀代の出世大名にあやかって、勇壮な出世鎧で、ぜひお子様の初節句をお祝いしてみてはいかがでしょう。
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五月人形で大人気!武将、直江兼続とは?
戦国武将、直江兼続(なおえかねつぐ)といえば、大河ドラマ『天地人』の主人公であり、昨今では人気も知名度もいっそう高まりました。
文武兼備の智将として名高い直江兼続公は、五月人形においても人気の高い武将です。
直江兼続は、少年時代より武将 上杉景勝に才を見出され、生涯に渡り献身的に上杉家に仕えました。
文武に秀でていた兼続は、主君景勝からの信任も非常に厚く、数多くの武功を残す事で、上杉家の実力者になっていきました。
政治の才もあった兼続は、豊臣秀吉公、徳川家康公らの武将をも魅了し、一目置いていたということです。
さて、そんな兼続といえば、漢字の『愛』の一文字を前面にあしらった、非常に印象深い兜をまとっていたことでも有名です。
その理由は、兼続が信仰していたとされる軍神「愛染明王(あいぜんみょうおう)」あるいは「愛宕権現(あたごごんげん)」に由来しているという説が有力です。
一度見たら忘れられない、インパクトと存在感のある兜で、五月人形においても人気があります。
「愛」の字を掲げて、主君や民、家族へ尽くし、戦国の世を生き抜いた直江兼続。
武芸に優れており政治の才覚もあった稀代の名将にあやかった直江兼続の五月人形で、ぜひ、大切なお子様のお節句をお祝いしてはいかがでしょうか。
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五月人形で大人気!武将、豊臣秀吉とは?
立身出世を象徴する天下人、豊臣秀吉(とよとみひでよし)。
大河ドラマや映画、小説、ゲームなどでも度々題材にされ、現代でも多くの人々に愛される戦国武将ですね。
そんな秀吉の五月人形があるって、ご存知でしょうか?
豊臣秀吉は、貧しい農民に生まれながらも、その知性と才覚でのし上がり、ついには天下統一を成し遂げた武将です。
太閤検地や刀狩など、大胆な新政策を次々と打ち出した、近世の開幕者とも呼ばれ、織田信長や徳川家康などと渡り合い三英傑の1人にも数えられています。
まさに立身出世の手本とも言える「戦国一の出世頭」の生き方にあやかろうと、男の子のお守りである五月人形においても、秀吉をモチーフとした鎧兜が多く製作されています。
そんな秀吉の五月人形といえば、有名なのが「馬藺後立(ばりんうしろだて)」の兜です。
兜の後ろで後光のような意匠をあしらったもので、圧倒的な存在感があり、目をひくインパクトを備えています。
馬藺とは菖蒲(しょうぶ)の1種で、薬効があり魔除けにもされる植物。
菖蒲は尚武(しょうぶ、武を重んじること)と読みを同じくすることから、武家では、端午の節句を尚武の節日として重んじていました。
馬蘭=菖蒲とは、戦国武将にとって特別な植物だったのです。
その特別な馬藺を後ろに背負い、威風堂々とした重厚感が感じられるのが、秀吉の鎧兜です。
戦国の世から現代に至るまで、人々を魅了してやまない豊臣秀吉公。
人と違うことがしたい!という「かぶき者」でもあった秀吉公にならって、他とはちょっと違うインパクトのある秀吉の鎧兜で、お節句をお祝いしてみませんか?
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五月人形で大人気!武将、武田信玄とは?
戦国一の戦上手、政治の才覚にも溢れた「甲斐の虎」武田信玄(たけだしんげん)。
地元の山梨県を初め、現代でも多くの人々から愛されている戦国武将で、ドラマや映画などでもおなじみです。
ふるさとを愛し、家臣や民を大切にしたその生き様にあやかって、武田信玄の五月人形はいかがでしょうか?
武田信玄は、騎馬軍団を率いることで徳川家康を一蹴し、織田信長が最も恐れたとする、戦国随一の武将です。
聡明、利発な性格と、抜群の情報収集能力を武器にして
数々の戦でその才覚をいかんなく発揮しました。
「風林火山」の軍旗を掲げていたことは、近年大河ドラマでも話題となり、あまりに有名ですね。
そのレベルの高い戦術は、徳川家康が手本にしたとされるほどです。
また、「戦は五分をもって上とする」という自らの信念を持ち、十分な勝利を得る事により驕りが生じる事を戒めた、堅実な人物でもありました。
現代の生き方にも通づるところがあると、ビジネス書などでも度々題材にされるほどです。
さて、そんな武田信玄の用いた甲冑といえば、二本角が印象的な獅子噛前立(ししがみまえだて)の
諏訪法性兜(すわほっしょうかぶと)です。
雄々しい獅子の面に、二本の角、そして何より
白熊(はぐま)と呼ばれる白髪がなんとも目を惹く意匠です。
その存在感あふれる姿は、後に人形浄瑠璃や歌舞伎でも演じられ、武田信玄の象徴となっていきました。
世界を見つめる治世の才を持ち、機知に富んで武芸にも秀でていた名将、武田信玄公。
その優れた人物像にあやかって、ぜひ武田信玄の鎧兜を、お子様の初節句にお迎えしてみてはいかがでしょうか?
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五月人形の名匠、加藤一冑とは?
五月人形の甲冑師、加藤一冑(かとういっちゅう)。
実物と同じ鎧兜を忠実に再現できる名工として、大変人気があります。
「本物」を探求し続けることにこだわり、華々しい受賞歴を誇る一冑の鎧兜とは、どのようなものでしょう?
一冑は、丹念な歴史考証を元に、実物に大変忠実な鎧兜を手掛けることのできる、数少ない甲冑師です。
その技術力の高さから、国宝、重要文化財の修理や復元模造品などの制作に多く携わり、天皇即位に際しては、天皇のわきに並ぶ挂甲(けいこう)の鎧二十両を手がけました。
また、一冑の制作する江戸甲冑は、東京知事指定伝統工芸品に指定されており、節句人形コンクールでは都知事賞受賞、東京都功労者の表彰を受けるなど、数多くの賞を受賞していることでも有名です。
先代である初代加藤一冑が、戦後の物不足の最中、全てを手作りで手がけていたことを土台として、現在においても、甲冑に仕様する金具に至るまで、すべてを一冑自身が作成しています。
細部にまでこだわりつつも全体のバランスを決して損なうことのない一冑の鎧兜は、機能的な美しさと、美術品としての工芸的な美しさが見事に調和しています。
当時の技法を凝縮した一冑のこだわりの鎧兜。
お子様の大切な初節句に、ぜひお迎えしてみてはいかがでしょうか。
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五月人形の名匠、平安一水とは?
五月人形の「京甲冑(きょうかっちゅう)」で最も有名な甲冑師の1人といえば、平安一水(へいあんいっすい)です。
京甲冑といえば一水という人もいるほど代表的な存在です。
一水の手がける鎧兜とは、どのようなものなのでしょうか。
平安一水は、大正11年、京都府に生まれ、甲冑師である今村善次郎に師事、その技法を受け継ぎ、技を習得しました。
その工程は、甲冑生地や金具周りの鉄板鍛造、飾り金具の彫刻にまで及び、造形は非常に繊細なもの、技術においても最高峰を誇ります。
その技術力の高さが、一水が京甲冑の第一人者と呼ばれるゆえんですね。
京甲冑とは、京都の伝統的な工芸技術や、こだわって選ばれた素材によって製作された鎧兜のことをいいます。
金属工芸、金襴に西陣織を用い、縅糸(おどしいと)は組紐(くみひも)、金具類の製作や箔押し、木彫など、細部にいたるまで、京都の伝統工芸を随所に駆使して製作がなされているものです。
そんな一水の造り上げる五月人形は、洗練された伝統美を思わせ、非常に優美さを感じさせます。
また、顔面の複雑な表情まで見事に再現することから、『鉄の彫刻芸術』とも呼ばれています。
京都産業功労者受賞、伝統工芸士認定という功績を誇り、甲冑一筋に五十年を注いできた名匠でありながら、今なお、さらなる技能の向上に努め続けています。
京都の貴族社会の中で生まれた煌びやかな五月人形。
一水の手がける五月人形は、そんな当時の時代の雰囲気をそのままに、日本古来の美しさと京の伝統を存分に感じられる意匠に仕上がっています。
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五月人形の名匠、幸一光とは?
幸一光(こういっこう)は、江戸木目込人形、江戸節句人形の大家で、百貨店などでもおなじみの人気人形師です。
かわいらしくも古典美の光る幸一光の五月人形について、ご紹介します。
幸一光の手がける五月人形には、子供大将飾りと江戸節句人形とがあります。
子供大将飾りとは、小さな男の子が鎧をまとって大将に扮している五月人形のことを言います。
幸一光は頭(かしら)をすべて自作しており、木材を彫刻するところから、胡粉(こふん)塗り、型取り、などの手間暇のかかる工程を経て頭の生地を製作し、更に胡粉を塗り重ねた上から、一筆一筆、丁寧に眉や目などを描き入れ、仕上げています。
魂を込めて手がけられたその表情は、可愛らしくもどこか素朴さが残り、見るほどに味わい深さが感じられます。
その無邪気なやわらかさが、幸一光の人気の秘訣といえるでしょう。
また、人形に着せ付ける鎧兜も、小さいながらも本格的な作り。
小札(こざね)と呼ばれる小さな板を、細かなピッチで丁寧に縅(おど)し、縅糸(おどしいと)の色合いにもこだわりを持って製作されています。
続いて幸一光の手がける江戸節句人形では、物語の英雄である桃太郎や金太郎、歴史の英雄 牛若丸に弁慶、魔除けの神様 鍾馗(しょうき)様や、鍾馗と対で飾る神武天皇などといった、昔から端午の節句で親しまれている五月人形を多く製作しています。
物語や歴史の英雄にあやかって、たくましく大きく育ちますようにと立身出世を祈願したり、魔除けや厄除けの意味をこめて飾ります。
これらのお人形も、幸一光ならではの素朴な可愛らしさが光る逸品ぞろい。
ご次男さまの五月人形に選ばれたり、贈答用としても人気があります。
まるで魂を吹き込まれたかのように、生き生きとした躍動感に包まれた幸一光の五月人形。
大切なお子様の初節句に、また男の子誕生のお祝いの贈り物として、ぜひご検討されてはいかがでしょうか。
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五月人形の名匠、加藤峻厳とは?
五月人形の江戸甲冑を制作する名匠として知られているのが、甲冑師 加藤峻厳(かとうしゅんげん)です。
作家物の五月人形をお求めの方に人気がある、加藤峻厳の手がける鎧兜(よろいかぶと)とは、どのようなものでしょうか?
加藤峻厳は、父親に江戸甲冑の大家である初代 加藤一冑(かとういっちゅう)を持ち、叔父に二代目秀山、兄に二代目一冑と鞆美がいます。
父である一冑からは基礎を徹底して学び、甲冑師の五反田豊正にも師事し、江戸甲冑の「小札(こざね)ごしらえ」の技術を修行しました。
全国新作節句人形コンクールでは最優秀技能賞である金賞を受賞しており、平成20年には、伝統工芸品江戸節句人形の伝統工芸士にも認定された、実力ある名工です。
ところで、江戸甲冑とは、武家社会の中で実践に用いられたという甲冑であり、絢爛な京甲冑に対して、荘厳なデザインが特徴です。
加藤俊厳の作品では、その当時実践で使われていた甲冑を忠実に再現する為に、随所にこだわりを見せています。
スケールが変わろうともそのこだわりは崩さず、日本古来の甲冑制作技術を踏襲した上で作られた峻厳の五月人形は、まさに品格漂う工芸品ともいえる逸品ばかり。
高い技術力を誇りながらも、日々研鑽を欠かさない、ひたむきな職人の息遣いを感じることができます。
お子様の大切な初節句に、ぜひ峻厳の鎧兜を飾ってみてはいかがでしょうか。
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五月人形の人気工房、壱三とは?
大人気の人形工房 壱三(いちぞう)は、日本を代表する甲冑師 鈴甲子雄山(すずきねゆうざん)
の手がける子供大将飾りのシリーズです。
勇ましくも愛らしい男の子が、雄山作の鎧兜をまとってポーズを決める、大人気の五月人形です。
雄山といえば、甲冑師の名匠として知られていますが、実は『人形工房 壱三(いちぞう)』では人気人形師としても活躍しています。
伝統的な甲冑技術を元に、五月人形をより身近に、より親しみやすい存在にしたいとの思いから、雄山こと壱三が製作する、全く新しいタイプの五月人形です。
お人形は、手描き・手仕上げにこだわって、一体一体を丁寧に仕上げられており、ひとつ同じ表情のものは存在しません。
目、鼻、口・・・細かなパーツに至るまで何色もの色を用い、一筆一筆を手描きで表情を描き出すことで、今にも動き出しそうな、生き生きとした躍動感にあふれた人形に仕上がっています。
また、お人形に着せつけている甲冑はもちろん、鈴甲子雄山作の本格的な鎧兜(よろいかぶと)です。
小さいながらも細やかな造作が美しい鎧は、縅糸(おどしいと)も鮮やかに、細かなパーツの一つ一つまで、妥協せず製作されています。
さすが、業界一の技巧派と称される雄山こと壱三の手がける五月人形といえるでしょう。
なかでも「わんぱく戦国武将」「わんぱく大五朗」シリーズでは、上杉謙信や伊達政宗、本多忠勝、徳川家康、織田信長、真田幸村・・・といった、名のある戦国武将をモチーフにした甲冑を着せつけており、五月人形のみならず戦国ファンにもたいへん人気を博しています。
さらに近年では、「わんぱくライダー」として大きなバイクにまたがった伊達政宗の五月人形なども発表しており、節句人形の枠にとらわれない、先進的でファッショナブルな商品を次々に展開しています。
一体一体に魂の感じられる、愛らしくも勇ましい人形工房 壱三の五月人形で、ぜひ楽しいお節句をお迎えください。
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五月人形の片付け方・しまい方は、どのようにしたらよいでしょう?
5月5日のお節句が過ぎたら、大切な五月人形をしまいます。
片付ける際には、どんなことに気をつけたらいいでしょうか?
また、どういうところへしまうのがいいのでしょう。
五月人形の片付け方・しまい方について、ご説明します。
兜(かぶと)や鎧(よろい)などを片付ける際は、まず布手袋をするといいですね。
金属部やお人形の顔に、直接素手で触れてしまうと、変色の原因になります。
それから、羽バタキなどを使って、甲冑本体や、左右の弓太刀などのホコリをはらっていきます。
続いて、兜の鍬形(くわがた)や前立て(まえだて)などの金具を、やわらかい乾いた布で拭きます。
屏風(びょうぶ)や、兜をのせるお櫃(ひつ)などもカラ拭きで指紋を拭き取ります。
奥の屏風を出そうとして、手前にある兜を傷つけてしまった・・・ということのないように、必ず、手前の物から順番に片付けるのがポイントです。
ホコリを払い拭き終わったら、元の紙包みや箱に鎧兜を戻します。
黒塗りの飾り台や屏風は、間に和紙を入れて仕舞いましょう。
箱に入れたら、直射日光があたらず、時々風通しのできる、押入れの上段や、天袋などに保管するのがおすすめです。
飾り付けた後に出来上がりを撮影しておいて、写真と飾り方のしおりを箱の中に一緒にしておくと、来年の飾り付けの際に便利ですよ。
また、鯉のぼりは、片付け前に陰干しをして乾いた状態にして、同様に片付けましょう。
汚れていてもクリーニングや洗濯機・乾燥機、アイロン等のご使用は、破損の原因になりますので、おやめください。
浴槽などの水桶に水を張って浸け置き、静かに振り洗いをし、特に汚れのひどい部分のみを、石鹸で優しく手洗いします。
強い力でぎゅっと絞ると、アルミ金箔などが剥がれてしまうことも。
水気を軽くきったら、絞らずに陰干しでしっかりと乾かしてください。
箱に仕舞う際は、防虫剤などは使わないようにしましょう。
お子様の大切な五月人形ですから、大切に保管して、また来年楽しく飾りたいですね。
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端午の節句には、なぜ菖蒲を飾るのですか?
男の子のお節句、5月5日の端午の節句。
実は、別名「菖蒲(しょうぶ)の節句」とも呼ばれることをご存知ですか?
この日には菖蒲を飾ったり、菖蒲湯に入ったりする慣わしがあります。
端午の節句と菖蒲、一体どんな関係があるのでしょう。
端午の節句はそもそも、古来では「菖蒲(しょうぶ)の節句」と呼ばれ、菖蒲など薬草を使って無病息災を祈願する日でした。
古くより邪気や魔などの悪鬼は、強い香りを嫌う、と考えられていたため、独特の香りのある菖蒲は、邪気を祓う特別な力があるとされていたのです。
また、菖蒲は薬草としての効用があり、腹痛や打ち身、解熱、胃痛、創傷などといった治療にも用いられ、特別な植物でした。
そこで、平安時代の宮廷においては、軒先にヨモギや菖蒲を挿し、臣下は菖蒲で作った冠を被り、菖蒲の葉で作った薬玉を柱に下げるなどし、無病息災を祈願していたのです。
鎌倉時代になると、武家では、菖蒲の名前が「尚武(しょうぶ=武を尊ぶこと)」と読みが同じであることから、端午の節句を尚武の節日として、重んじる風習が生まれました。
これらのことから、現在でも、端午の節句には菖蒲の茎や葉を入れた菖蒲湯に浸かったり、菖蒲をひたした菖蒲酒を飲んだり、菖蒲を枕に敷いて菖蒲枕で眠るなどというならわしが、邪気払いとして受け継がれているのです。
端午の節句の時期になると、スーパーなどで菖蒲が売られていますので、ぜひ、菖蒲を入れて沸かした菖蒲湯に入ってみましょう。
健康を祈願するだけではなく、身体がぽかぽかと温まり、さわやかな香りにはリラックス効果もありますので、お勧めです。
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なぜ、端午の節句には粽や柏餅を食べるのでしょうか?
5月5日のこどもの日は、男の子のお節句です。
この日には、昔から粽(ちまき)や柏餅を飾って食べる風習がありますね。
粽と柏餅。端午の節句とどのような関係があるのでしょう?
端午の節句に、粽(ちまき)や柏餅を飾って食べるというのは、古くから続いている伝統的な風習です。
その起源は古く、古来中国より伝わったとされています。
中国ではその昔、国の英雄が陰謀で祖国を追われ川に身を投げた際、彼を慕う国民たちが、魔を避ける薬草の葉に米を包んで五色の糸で縛り、これを川に流して英雄を弔った、という伝説が残されています。
この、葉に包まれた米というのが、粽のはじまりとされているものです。
これが日本にも伝来し、古くは平安時代の宮廷における儀式の際に、粽を食べていたという記録が残っています。
そして、粽の口を縛った五色の糸は、魔除けの五色とされ、現在では鯉のぼりの吹流しにも使われています。
一方、柏餅は、日本独自のお菓子です。
柏の葉は、新芽が出て初めて古い葉っぱが落葉することから、家系が途絶えない=子孫繁栄 という意味がこめられています。
また、乾燥に強く、山火事にも生き残り痩せ地でも育つという生命力の強い木であること、柏の樹皮は、下痢や止血の薬として漢方に用いられていたことなどから、子どもが丈夫で健康に育ちますように、と祈願して、端午の節句に食べられるようになりました。
何気なく食べている粽や柏餅にも、昔の人の思いや願いがこめられているのですね。
ぜひ、お節句には粽や柏餅を食べて、男の子のお節句をお祝いしましょう。
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親戚や友人からの、初節句の五月人形の贈り方
男の子が生まれて初めて迎える5月5日の子供の日は、「初節句」と呼ばれますね。
男の子が生まれたお家に、ご親戚やご友人からは何を贈ってお祝いをすればいいでしょうか?
五月人形におすすめの贈答品をご紹介いたします。
ご親戚やご友人のお宅に男の子が誕生した場合、5月5日の端午の節句を盛り上げる五月人形を、ぜひ贈りましょう。
まず、贈答用として伝統的なのものが、ケース人形です。
小さな男の子が鎧をまとった「子供大将」をはじめ、物語の英雄である「金太郎」や「桃太郎」人形、魔を避ける神様「鍾馗(しょうき)」人形などがあります。
丈夫に健康に育つように祈願するものや、立身出世を祈って飾るものなど、様々です。
コンパクトで飾りやすいサイズのものが多数ありますので、鎧兜の横に飾られても邪魔にならず、見栄えがいいですね。
また、昨今人気が出てきているのが、「つるし飾り」です。
つるし飾りと言えば、女の子のお雛様の横に飾るもの、と思われている方もいるかもしれませんが、近年では男の子のお節句用のつるし飾りもたくさん登場しています。
鯉やちまき、でんでん太鼓、団子、なすび、薬袋などといった、縁起のいいモチーフが可愛らしくぶらさがり、赤ちゃんの健やかな成長をお祈りします。
手作り品ですから、1つ1つ職人の手で仕上げられ、大変手間暇をかけて製作されています。
大きさや、生地の質(正絹かどうかなど)によって値段が異なりますが、端午の節句を盛り上げてくれること間違いなしです。
さらに、毎年人気が高いのが「名前旗」です。
衝立に吊るした旗(タペストリー)に、赤ちゃんのお名前や生年月日を入れて飾ります。
五月人形の隣に置くことで、「○○くんの五月人形」という特別感が増すことも、魅力のひとつですね。
お名前は、サイズや、プリントか刺繍かでお値段が変わります。
飾るとぐっと見栄えがしますので、ご贈答用としても人気があります。
どれも、兜や鎧の横に飾ると、いっそう賑やかな雰囲気になるものばかりです。
男の子の初節句の贈り物として、ぜひいかがですか。
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端午の節句のご馳走は、どんな料理を用意したらいいですか?
古来より、日本では「行事食」と呼ばれるご馳走を食べる風習があります。
例えば、お正月のおせちや土用の丑の日のうなぎなど、季節ごとの行事やお祝いの日に食べる特別な料理のことです。
さて、端午の節句の行事食とはどのようなものでしょうか?
端午の節句に食べる行事食といえば、ブリ、タケノコ、カツオなどが定番です。
ブリは成長すると名前が変わる「出世魚」ですし、タケノコはすくすくよく育つほか子孫繁栄の意味があります。
カツオはずばり「勝つ男」ということで、これも縁起がいいとされています。
そのほか、有名なのが粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)ですね。
この二つは五月人形の段飾りにも、飾り道具として登場します。
ちまきの起源は古代の中国にさかのぼり、国の英雄を弔う際、葉に包まれたお米をお供えしたのが、はじまりとされています。
奈良・平安時代に日本に伝わり、都のあった西日本を中心に広まりました。
現在では厄除けとして、一年中飾る地域もあります。
一方、柏餅は日本独自のお菓子です。
柏の葉は、古い葉が落ちる際に新芽が出ていることから、子孫繁栄の意味をもち、生命力も強く漢方にも用いられたため、子どもが丈夫で健康に育ちますように、と祈願して、端午の節句に飾られるようになりました。
「東は柏餅、西はちまき」と呼ばれるように、地域差も大きく、どちらかを食べる地域、どちらも食べる地域など、風習もさまざまです。
ほかにも、赤飯や笹巻きを食べる地方もあり、ご当地それぞれの食文化があることが、よくわかりますね。
日本の伝統的な行事食で、こどもの日を楽しくお祝いしてくださいね。
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五月人形の名匠、忠保(大越保広)とは?
五月人形で人気の甲冑師のひとりが、大越忠保(おおこし ただやす)です。
甲冑づくり一筋に、金工、漆工、染織皮革などの技術が結集して、制作された忠保の鎧兜(よろいかぶと)とは、どのようなものでしょう。
また、忠保とはどのような作家なのでしょうか。
忠保は、創業五十年余の甲冑づくりの家に生まれ、甲冑師(かっちゅうし)となるべく、父である二代目の忠保に師事し、研鑽を重ねました。
現在は三代目で、経済産業大臣指定の伝統工芸士として認定を受けています。
忠保の甲冑づくりといえば、膨大な資料から入念に時代考証を重ね、細部にわたって検証を繰り返した上で、一品一品を丁寧に手作業で製作しているのが特徴です。
一般的に、鎧づくりにおいては約5000もの作業工程があるとされています。
忠保の鎧兜では、その膨大な工程すべてにおいて、金工、漆工、染織皮革などの技術を結集し、各々の作業で熟達した技術をもった職人が、妥協を許さず丹念に作業を重ねることで、まさに、精魂込めた芸術作品ともいえる甲冑が完成するのです。
そんな忠保の甲冑が、数々の人形コンクールにおいて、内閣総理大臣賞、経済産業大臣賞等、華々しい受賞歴を誇っているのも、納得ですね。
また、伝統的な技術を基本としながらも、新しい作品も手掛ける創作意欲の旺盛(おうせい)な作家であり、現代の感覚が融け合う甲冑を日々製作しています。
これは、豊富な経験に裏打ちされた確かな技術と、甲冑づくりに対する真摯な姿勢があってこそ。
また、知性、仁徳、勇気の三徳とは、戦国時代の武将の理想でもありましたが、忠保の甲冑もまた、それを願いとしています。
初節句を迎えるお子様が、知恵賢く、心広やかに、知性、仁徳、勇気をそなえ、健やかに成長しますように・・・
そんな願いをこめたのが、忠保の鎧兜(よろいかぶと)なのです。
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五月人形の名匠、平安道斎とは?
甲冑師 平安道齋(へいあんどうさい)といえば、日本を代表する甲冑師の1人で、30年にわたり万人に愛される本仕立鎧を製作し続けています。
「時代を超えた名作」と称される道斎の鎧兜(よろいかぶと)とは、どのようなものなのでしょうか。
道斎といえば、日本全国の鎧と兜を実地に調べ上げては研究し、昔ながらの鎧と兜を忠実に再現する、伝統的な甲冑作りを行っている作家です。
江戸甲冑の世界では、大変著名な作家です。
代々続く、名甲冑工房に生まれ、四代目鈴甲子雄山(すずきねゆうざん)の父にして師匠でもあります。
吟味した素材を用いて伝統的な技法を駆使し、甲冑を制作し続けている道斎ですが、なかでも特徴的なのは、実物の甲冑を手本にして再現される「江戸甲冑」の技術と、金具を組み合わせ純金箔を施す華やかな「京甲冑」という、2つの相反する製作技法をどちらも体得している、類まれなる技工士である、ということです。
それによって、日本の伝統の手造りの味わい・美しさと、純金箔押小札(じゅんきんぱくおしこざね)などの工芸品・芸術品としての美しさが、見事に融合しています。
そんな道斎の真骨頂とも言えるのが、30年もの長きにわたって「時代を超えた名作」として愛されるロングセラーモデル、「本仕立純金箔押総裏之鎧・兜(ほんじたてじゅんきんはくおしそううらのよろい・かぶと)」でしょう。
品質・造り・素材の細部にいたるまで贅を尽くし、こだわりぬいて本物の鎧を再現した、本仕立の五月人形です。
華やかでありながら飽きのこない仕上がりで、小さな変更を繰り返しつつも時代とともに進化し続け、現代にいたるまで万人に愛されています。
まさに芸術の名にふさわしい、道斎の鎧兜。
お子様の晴れやかな初節句に、ぜひいかがでしょうか。