日本におけるヘンプの歴史について

古来よりヘンプは私たちの生活を象徴する農作物

古来よりヘンプは私たちの生活を象徴する農作物でした。

70年前まで私たちの生活の一部であったヘンプという農作物は、現在社会が生み出した利便性や経済性を追求した社会の中で忘れ去られてしまいした。


近年、大麻は単なる【薬物】ではないという認識が、欧米を中心に広がっています。

医療現場での大麻利用、マリファナの合法化、産業用ヘンプの再利用などのニュースをご覧になられた方も多いと思います。


世界では大麻草の薬理研究が盛んに行われており、大麻が有効とされる疾患が250種類以上もあるというデータなども存在します。

日本におけるヘンプの歴史について
日本人の営みを支えてきた「麻」

日本の大麻は、繊維型であったことから向精神作用に関する記録がほとんど見当たらないという研究が、九州大学薬学部によって証明されています。


明治時代、西洋の優れた制度や技術を導入する中で、1886年に当時の厚生労働省が定めた医薬品解読書『日本漢方』にインド大麻が収集され、公的な医療品となっていた時代も存在します。主にぜんそく薬や鎮痛剤として用いられ、1951年の改訂されるまでの65年間活用されてきた歴史があります。


漢方の世界においても、大麻の種子や大麻の花穂は漢方薬として用いられています。主に便秘の薬や健忘症、てんかんなどに利用されてきた歴史があります。


大麻草、マリファナ、麻、ヘンプなどの言葉が存在しますが、どれも同じ植物を意味しています。

大麻やマリファナと聞くと危険な薬物というイメージをかき立て、麻やヘンプと聞くと神事などに活用されているなど農作物などをイメージする方もいるのではないでしょうか。


古来の日本では、麻という言葉は大麻を意味しており、日本人の営みを支えてきた農作物でした。

通常は麻と呼んでいたようですが、神事などで重要な役割として使用されることもあり、あらためて敬意を込める際には、音読みで『たいま』訓読みで『おおぬさ』と呼ばれていたようです。

「精麻」として神事に使用されている歴史

現在も栃木県鹿沼市では、産業用大麻を農作物として栽培しています。産業用大麻の茎を湯がき、丹精込めて精麻として伊勢神宮などの神事に使用されている歴史があります。


その産業用大麻も継承者がいないことから文化自体が存続の危機を向かえています。産業用大麻栽培者は高齢化一途を辿り、今では8割以上の従事者が60歳以上の高齢者という状態です。


その一方で産業用大麻栽培の免許交付は、各都道府県の薬務課などの審査が厳しいため、新規参入をする上でもかなりハードルが高く、若者たちの障害となっていることも懸念されています。害がない産業用大麻であっても、大麻という言葉は一人歩きしていることも大きな要因のひとつだと感じます。


わたし達が新年を迎え、神社などにお参りする際のしめ縄や神事で使用されるものは10年後に輸入品となる可能性が非常に高いのです。


こうした時代にわたし達がどう向き合っていくのか、大麻やヘンプの正しい知識を身につけ、次世代に文化を伝承していくことが求められている現代社会ではないでしょうか。