オーナーパテシエ吉田菊次郎はフランス、スイスに渡欧し製菓修行に励んでいた折、ソルボンヌ大学のある『ブールバールサンミッシ』の近くに住んでいたこともあり帰国後の開業にあたりその名を店名とし1973年に渋谷公園通りに店舗を構えました。
フランスでの修行中も数々の国際賞を受賞しておりますが帰国後の2004年にはフランス共和国農事功労賞シュバリエ、厚生労働省より『現代の名工・卓越した技術者』を受賞。
日本の本格的なフランス菓子の草分け的存在ですが、伝統的なフランス菓子を基本に新しい創作菓子にも挑戦しています。
フランス王家が愛した美食のブランド、ダロワイヨ。
ダロワイヨの歴史は非常に古く、ルイ王朝時代に遡ります。
1682年ヴェルサイユ宮殿でルイ14世のおかかえパン職人として仕えていたシャルル・ダロワイヨが始まりです。
フランス王家代々の食膳係として王家と共に歴史を刻み、1802年料理のシェフであるジャーンパティスト・ダロワイヨにより創業に至ります。
料理人にとって羨望の的であった職に就き、美食作りを追求したダロワイヨ家はフランス食文化に名を残す美食の名店として高い評価を受けています。
パリで愛され続けてきた名店『メゾンショーダン』の
卓越したハーモニーのチョコレート。
1986年にパリ7区ユニヴェルシテ通りに店をオープンした、 創業者ミッシェル・ショーダンからチョコレートつくりを極めた製法を 新星ショコラティエール アレクシア サンティーニ が受け継ぎます。
ショーダンの下で絶大なる信頼をおき、思いを引き継いだ後「メゾン ショーダン」として ブランドをリニューアル。変わらず上品で繊細なショコラや多彩な商品をこれからもお届けします。
塩瀬総本家の歴史は、貞和5年(1349年)の660年前の奈良に遡ります。
1467年の応仁の乱で京都を離れ、三河塩瀬村に居を移し、 再び京都に戻り8代将軍の足利義政より、 『日本第一番本饅頭所林氏塩瀬』の看板を授かり、 時の帝であった後土御門天皇から『五七の桐』のご紋を拝領しました。
織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康など、名だたる名将に愛好され 江戸開府と時を同じくして江戸に移り商売を始めました。
銀座松崎煎餅の創業は文化元年(1804年)芝魚籃坂になります。 三代目が慶応元年(1865年)に銀座の地に店を移しました。当時は三河屋と称し、 瓦煎餅や焼き菓子の製造販売を行っていました。
先祖が三河におり瓦煎餅の技術を関西で習得し幕府が江戸に移ったときに 三河から江戸に拠点を移しました。銀座は明治の関東大震災・戦争と3度の大火に遭い、 そのたび全焼しましたが金属製の煎餅の型は焼けることが無く 現在もその型を使い製造しています。
日本で最も早く『クッキー』という言葉を使用したのが泉屋東京店です。
『クッキー』の語源は、オランダ語で小さなお菓子を意味する『クオキエ』からきています。
オランダからアメリカに渡り『クオキエ』を販売したところ大人気となり、 アメリカ全土広がり一般的に『クッキーズ』と呼ばれ親しまれるようになりました。
90年前(1927年)にアメリカ人宣教師にレシピを習い、 創業者の泉により『日本で初めてのクッキー』を販売しました。
伝統に受け継がれた製法をほとんど変えずに、ホームメイドの精神に徹し製造しています。
1955年に鹿児島県指宿にて創業。
さつま揚げにもっとも適した魚肉である『とび魚』を主原料とし、 イトヨリダイ、アジ、スケトウダラ、グチ、カマスのすり身をブレンドすることで 独自のまろやかさと旨味をひきだします。
塩摺りし、灰持酒(鹿児島地酒)を加え、独自の製法により、 揚げたての風味を損なわいようにしています。
鹿児島にこだわり、手造りにこだわり、伝統を大切にしながらも 新しい商品造りをする柔軟な発想も持ち合わせます。