株式会社布施商店 布施太一 メッセージ

「受け継ぐモノ、変えていくモノ」

株式会社布施商店 布施 太一

戻るつもりもなく飛び出した故郷が、テレビの向こう側で津波に飲まれている。10年前のあの日、東京から震災の様子を目にしたとき、唖然としました。故郷にいた家族とは連絡がつかず、毎日掲示板で避難所にいる人の名前を調べる日々。家族の安否を確認できたのは、震災から一週間後でした。しかし、安堵したのも束の間。足を運んで見たかつての故郷の姿は、臭い匂いに包まれ、道路は土で覆われ、生まれ育った実家と、代々受け継いできた会社は全壊していました。今まで見たことがない光景の中で、「生きている家族の存在」や「生まれ育った石巻」を強烈に意識したことを覚えています。そして、私は石巻に戻る決意をしました。震災を機に石巻を見つめ直すと、同世代の人達が、新しい水産業の形を追い求めてチャレンジを繰り返していました。そんな姿を目の当たりにした時、百年企業である布施商店が、残すべきものと、変えていくべきものはなんなのか。あの日をきっかけに、そんなことを考え始めたように思います。帰郷を機に見つめなおした私たちの理念は「海の価値を創造し、暮らしに笑顔を提供していくこと」。真鱈を30年以上取り扱う布施商店だからこそ知る、真鱈の美味しさをたくさんの人に伝えていきたいです。そして食べていただく人を笑顔にしていきたい。これからも、伝統を受け継ぎながらも、未来への挑戦の歩みを止めない布施商店の心のこもった美味しさを、大切な人と楽しんで食べつくして下さい!

有限会社ミノリフーズ 渋田 大和 メッセージ

「人に尽くし、社会に尽くす」

有限会社ミノリフーズ 渋田 大和

水産業は、全ての人と関わることができる素晴らしい仕事だと思っています。 人間の暮らしに絶対的に必要な「食」に関わる仕事ですから。 お客さんは全国のスーパーや飲食店。商談相手は違った地域・価値観を持っている人ばかりと、バラエティに富んでいて、 人と関わることが大好きな私にとって、「楽しい!」と自信を持って言える仕事です。 一方で、石巻では、震災をきっかけにかつての元気が失われつつあるように感じています。 かく言う私も、2011年2月に完成したばかりの念願の自社工場を震災で失い、一時は絶望的な心境でした。 しかし、落ち込んでばかりもいられません。三ヶ月後にはプレハブの事務所で営業を再開。 時には魚を買い求めて他県に飛び、製造は市外の工場を借りました。 地道にひとつひとつ前へ進み、多くの人に支えられ、今のミノリフーズがあります。 そんな私は毎朝、競りに行くときはワクワクします。 「今日はどんな魚がいるんだろう」「誰よりも良い魚を競り落としてやる!」といった具合に。 ライバルたちが目当ての魚を競り合う魚市場は、例えるなら「戦場」。 そこで勝ち取った魚を美味しいと言ってもらえることは、何にも変えがたい私にとっての幸せです。 元気に満ち溢れていたあの頃を取り戻したい。水産業をもっとワクワクする業界にしたい。 「人を信じ、人を愛し、人につくし、社会につくす」、「食を通じて人々に笑顔をお届けする」。 そして、石巻の水産業を盛り上げていく。これこそが、支えてくれる人々への感謝の印です。

株式会社石巻フーズ 高橋 和希 メッセージ

「ゼロからのスタートだった。だから、何でもできた」

株式会社石巻フーズ 高橋 和希

就職活動が始まり、1社目の面接を終えた帰り。電車に揺られていた最中に震災が起こりました。 変わり果てた故郷。始めたばかりの就職活動は休止せざるを得ず、将来が見通せない日々が続きました。 一方で、震災に襲われた故郷のために「自分にできることはないか」という感情が芽生え、ボランティア活動に打ち込むことに。 瓦礫だらけの街で炊き出しをしたり、仮設住宅に住む高齢者を訪ねたり、目の前の人々の助けになれるよう、集中しました。 そして、2年がたった頃、後の石巻フーズの創設者と出会いました。 聞けば、新しく会社を作るという。ここ石巻での新しい挑戦に胸が高鳴りました。 設立メンバーとして入社してからは文字通りゼロからのスタート。 試行錯誤を繰り返し、最初に世に送り出したのが、宮城を代表する海の幸「牡蠣」の鮮度にこだわった「生牡蠣フライ」です。 震災後にできた工場は最新鋭の設備を完備しており、新しい技術を活かした自慢の一品は、 おかげさまでたくさんのお客様にお求めいただき、いまも変わらぬレシピでお届けしています。  現在は、産地に根ざした商品開発にこだわる株式会社バローホールディングスの傘下となり、 より多くのお客様に商品をお届けすることができました。 何もなかった。ゼロからのスタートだった。だから、「何でもできた」。 震災後、ボランティア活動、そして石巻フーズを通して出会った人々との時間は、私の財産です。 これからのご縁に感謝し、復興の象徴として、伝統を作っていきます。 私たちの自慢の一品、どうぞお楽しみください!

山徳平塚水産株式会社 平塚 盛一郎 メッセージ

「幸せを届ける父の姿」

山徳平塚水産株式会社 平塚 盛一郎

東京の大学に通っていた私が家業に関わろうと考え始めたのは、震災から3年後のこと。 父の手伝いで静岡県で開催されたおでんフェアに参加して目にしたのは、 家族が作ったおでんを食べて「美味しい」と笑うお客様たちでした。 家業を通して父が人を幸せにする瞬間を目の当たりにしたことが、 「家業を継いで、たくさんの人を幸せにしたい」と考えるきっかけになりました。 同時に、おでんフェアでは、震災に心を痛め励ましの声をかけてくれるお客様も多く、 遠く離れた土地から自分の故郷を思ってくれる人がいることに、感謝の思いも芽生えました。 石巻では水産業は主要産業です。この業界を盛り上げることができれば、復興に繋がる。 そして元気な姿と美味しい商品を全国にお届けすることが、私の故郷を心配してくれた人たちへの一番の 恩返しになると信じています。 一方で、水産業には若者が少ないことに懸念を抱いています。 若者にとって水産業が魅力的に映るように、水産業を担う数少ない若者の代表として、 未来に繋がるチャレンジを続けていきたいです。 今回は、私たちの故郷を心配してくれた人々への感謝を込めて、商品を選びました。 皆さまにもきっと、大切な人がいると思います。 直接会うことが難しい世の中ですが、きっと、想いは届きます。 私たちの自慢のおでんとお魚惣菜で、皆さまの大切な誰かのこころとからだを温められますように。

末永海産株式会社 末永 康也 メッセージ

「家族とつくる石巻ブランド」

末永海産株式会社 末永 康也

家族経営に惹かれ始めた自分。生まれ変わった実家の工場。戻ってこいとの父の言葉。 そのタイミングが重なったことが、実家に戻るきっかけになったと思います。 私は大学卒業後、県内の広告代理店に就職しました。すると、幸運にも同社の跡取りの方の下で働かせて頂くことに。 仕事を通じて、その方が親子で会社を経営する姿を間近に見て、工場の再建に奔走する石巻の家族を思い、 いつかの未来の自分を重ねるようになっていました。 そんな思いが芽生えた頃、タイミングを見計らったかのように実家の工場の再稼働が決定。 震災前、生鮮原料を中心に薄利多売の生産をしていた工場は、 再建を経て商品開発に力を入れてブランドを育てていくための工場へと生まれ変わっていました。 「いつか一緒に」と言っていた父から、ついに「戻ってこないか」と声をかけられ、家業に携わることを決意。 いまでは末永海産で家族とともに新しいブランドづくりに打ち込んでいます。 水産業に携わってみて感じることは「水産業って面白い!」この一言に付きます。 一言に水産と言っても扱う食材は多種多様。 牡蠣やホタテの貝類、ワカメや昆布などの海藻に加え、魚だけでも何百種類もあります。 種類があればあるほど、作れる料理のバリエーションも増える。 そんな無限の商品開発の可能性が私をワクワクさせてくれます。 こうして前向きに水産業に関われるのも、支えてくれた人々、食べてくれる皆さま、ともに働く社員のおかげです。 これからも皆さまに感謝の気持ちを込めて、美味しい商品を作り続けます。

株式会社木の屋石巻水産 松友 倫人 メッセージ

「感謝を缶に詰め込んで」

株式会社木の屋石巻水産 松友 倫人

私が東京から石巻に移住したのは、震災から8ヶ月前。慣れてきた暮らしが無くなったのは一瞬でした。 当時、私は海からわずか150mしか離れていない工場にいました。 津波警報が鳴り、命の危険を感じながら高台に避難出来たは良いものの街は一瞬で変わり果て、 瓦礫で孤立地帯になった場所にいた私は「生き残ること」と「生き延びること」は明確に違うことを痛感しました。 特に、土地勘が無い自分にはラジオから聞こえてくる情報も把握できず、一週間におよぶ自力での避難生活で生き延びることが出来たのは一緒にいた地元出身の同僚たちのお陰でした。 また、食べ物も飲み物も無く支援物資も受け取れない状況のなか、これからどうやって生きていこう、 そんな不安の中、瓦礫の山から出てきたのは「缶詰」でした。 津波に流されても、泥だらけになっても中身は無事。どんな状況でも変わらずに食べられる缶詰の偉大さを感じ、 「缶詰会社で働いてて本当によかった」と心から思ったことを覚えています。 そして、土地勘のない私を多方面で助けてくれた石巻の人たち、 泥だらけになりながら缶詰を洗ってくれたボランティアの人たち、 「こっちで洗うから!」と声をあげてくれた飲食店の方々、 木の屋の缶詰を愛し、缶詰を買ってくれた全国の人々、 あの人たちがいたから、いまの木の屋、いまの自分があります。 彼らに向けて、感謝を込めて、「元気にやってるよ!」とメッセージを発し続けることが、 私なりの「ありがとう」の伝え方だと信じ、今日も仕事に取り組んでいます。 そしてあの時、明日食べるものも不安な中で、変わらずに食べられる缶詰に私たちは救われました。 缶詰があったからこそ「生き延びる」ことができた。だからこそ、缶詰の必要性や素晴らしさを伝え、 そしてどこよりも美味しく届けていきたい。そんな思いを缶に詰め込んで、皆様にお届けします。