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ハンガリーワインについて

ハンガリーワインの歴史

ハンガリーの建国は西暦896年と言われます。
古代ローマ時代よりこの地では良質のブドウ栽培が行われ、本国ローマをも凌ぐ品質のワインが生産されていたとも伝えられます。西暦92年、ついに皇帝ドミティアヌスはイタリア本国以外での葡萄栽培を禁じる法を出すほどになりました。時を経て西暦282年、ワイン皇帝とも称されるプロブスによってその法が解かれることになりますが、プロブス自身、出身はシルミア(現在はクロアチア内)のモンス・アルムスでした。

19世紀まではフランス、イタリアに次ぐワイン大国であったハンガリー。特にトカイワインはヨーロッパの貴族社会にはなくてはならないワインでした。有名な言葉として
「ワインの王にして、王のワイン」(ルイ14世太陽王)
「このワインには金が溶け込んでいるのね?」
(オーストリア・ハプスブルグ家・女帝マリア・テレジア)
など他にもルイ15世の愛妾として名高いポンパドール侯爵夫人、ロシア皇帝ピョートル大帝などそのトカイワインの甘美なる甘さの虜になった貴族は数知れません。
ピョートル大帝のトカイワイン狂いは特にすごく、貴腐ワインがワイン庫に常に満たされるように、トカイに恒久軍隊兵舎を置いたほど。

世界初の葡萄畑の格付

そのあまりのトカイワインの人気ぶりに似たようなワインがヨーロッパのいくつかの地域で造られるようになります。現在は貴腐ワイン界の帝王とも言えるフランスのソーテルヌもトカイワインの後発でありアルザスやイタリアのフリウリでは「Tokayトケ」や「Tokaiトカイ」などとラベルに表記して消費者の注意を引こうとしました。
そこで国王は世界で初めてとなる葡萄畑の格付を1737年に行い、更に1757年、原産地呼称を制定。トカイワインはトカイ地方以外では造れないようにしました。


忘れ去られたワイン王国

これほどまでに名実ともに人気のあったハンガリーのワインですが、今ではハンガリーでワインが造られていることに驚く方もいるほど。その理由としてはいくつかの要因がありますが、
19世紀のフィロキセラによる葡萄畑の壊滅(実に7割強)
2度の大戦
B2次世界大戦終結後の50年に渡る共産主義政権が挙げられます。

ハンガリーワイン復興の兆し

1990年代を迎え、民主化が始まった新生ハンガリー共和国はワイン生産においても復活の兆しを見せています。開かれた市場には西側各国からの資本が投入され、家族経営、個人経営のワイナリーも増え(共産時代は国営)、量から質への転換がなされます。トカイに進出したスペインの至宝とも言えるワイナリー・ベガシシリアなどが良い例です。
テロワールを重視した現代的な葡萄栽培が導入されて、今では22のアペラシオンを数える多種多様なワイン文化が形成されつつあります。
ハンガリー国内でのワイン需要も増え、ジャンシス・ロビンソンやヒュー・ジョンソンがとても高い評価を与え、いまではイギリス、フランス、アメリカ、ニュージーランド、そして中国へとじわりじわりとその人気が高まりつつあります。日本での知名度はまだまだですが、日本のワインラバーにもぜひ高品質なハンガリーのワインを広めてほしい、切に願います。