ケープ メンテルの命名
1801年にオーストラリア沿岸の地図を作製した ニコラ・ボーダン(Nicola Baudin)は、メンテル兄弟に因み マーガレット リヴァー河口地域を「ケープ メンテル」と名付けました。 兄で地理学者のエドモンドと、弟で地図製作者のフランソワ=シモンは 1700年代初頭にパリに住んでいた有名な科学者でした。
マーガレット リヴァーへの移住
街と川の名前であるマーガレット リヴァーは、 バッセルトンの創立者ジョン・バッセル(John Bussell)のいとこ マーガレット・ウィッチャー(Margaret Whicher)に因んで名付けられました。 地域の定住は1850年代に始まり、1870年代以降は材木業で栄えました。
マーガレット リヴァーの最初のブドウ樹
農学博士ジョン・グラッドストーンズ(John Gladstones)は土地を調査し、 この地域を上質のブドウ栽培に非常に適していると判断しました。 まずトム・キューレン(Tom Cullen)により最初のブドウ畑が作られ、 1967年にはヴァス・フェリックス(Vasse Felix)が、 そしてその後ケープ メンテルを含む「5つの先駆的ワイナリー」が続きました。
ケープ メンテルの設立
ワイン界のパイオニアであるデイヴィッド・ホーネン(David Hohnen)は、
兄弟のマークとガイルスとともにケープ メンテルを設立しました。
わずか16ヘクタールの小さなエリアに植えられたブドウ樹から始まった
ケープ メンテルのブドウ畑は、今日では
「ウォールクリフ ヴィニヤード(Wallcliffe Vineyard)」と呼ばれています。
ジミー・ワトソン賞の連続受賞
ケープ メンテルは、この辺境の地の数多くの、 名高いワインスタイルを開拓しました。 また、1982年と1983年のカベルネ ソーヴィニヨンで、 2年連続オーストラリアで最も栄えあるジミー・ワトソン賞を受賞することで、 マーガレット リヴァーの名を世界のワイン地図に載せることに貢献しました。