CORBO. 古瀬様(写真右)、
インタビュアー:Senrtire-One カナヤマ(写真左/テキスト赤色部分)
―今日はよろしくお願いします。
それでは早速ですが、CORBO.の生まれた経緯をお聞かせ願えますか。
CORBO.が生まれるずっと前、僕は企業でインダストリアルデザインやプロダクトデザインの仕事に携わっていました。プロダクトっていうのはほら、例えば100円ライターでも、尊敬する人から手渡されたら、もうそれは大切なモノになったりするじゃないですか。そのコンパクトな感じがいいなと。
―凝縮されているっていう。
そうです。だから初めから革のバッグを作っていたわけではないんです。 企業では大きな組織が動くんですよ。何年使いまわしてるのかという部品の流用だとか、下請けに押し付ける様なコスト減だとか、量産も絡んできますしね。今は多少理解できますけど、当時は若かったから…。
ゼロから何かを作り上げたいと思っていたので、そのしがらみがどうも…馴染めなかった(笑)。特に時代がバブルだったので、細かいことはどうでもいいよみたいな感じがあって。できるだけ値段を高くつけたほうが売れる時代だったそうですよ。僕はその恩恵にあやかってないけど、今じゃ考えられないですよね(笑)
―考えられないですね(笑)
それで、また色々な事にトライしているうちに、ご縁があって老舗のカバン問屋に入ったんです。革のカバンてね、衝撃だったんです。何が衝撃だったかって、職人さんの存在とかもね、すごかったんです、カルチャーショックが。30年くらい前って、ホントに四角いビジネスバッグしか無くって。とくに革のカバンてね、いわゆるスーツを着たサラリーマンが持つものだと思っていたんです。形も決まっていて、変える必要がないんですよ。デザインなんてあり得るのかな?と思いました。
入社すると見習いは倉庫番から始まるんですけど、休み時間に箱を開けてひとつひとつ見ていくと、革の匂いや重みになんだかドキドキしたんです。どうやって作っているんだろうと思いました。
CORBO. works&shop 店内の様子
うちのお店でもお客様からよく「これは手作りですか?」って聞かれるんですけど。当時の僕も、ある程度はオートメーションでガッチャンガッチャン作ってるんだろうというイメージを持っていたんだと思うんです(笑)。それが今では「手作り以外にどうやって作るんだろう?」と(笑)。
鞄づくりってオートメーションじゃないって事なんですよね。革カバンを作っている所に行くと、今でも職人さんが畳の上であぐらをかきながら一本一本作ってたりします。
また、当時はそういう職種に若者が行かない時代だったので、商品を製造しているメーカーさんには外国から出稼ぎに来ている人が多くて。外国人の職人さんたちに抜けられちゃうと製造できなくなるから、頭があがらない社長さんが結構いたんです。
問屋さんもお店もブランドのマークがポンと付いていれば、何でも売っちゃう買っちゃう。作っている現場側から見ると、それがどうしても納得がいかないわけです。だから正直な事を言うと当時の日本が大嫌いでした…(笑)
―(笑)
CORBO. 職人の皆様の製作風景
職人さんだけは好きだったんです。僕は会社より職人さんの所にいる方が多かったので、いろいろな所にくっついていっては、いろんな事を教わりました。でも何でこういう人たちが一番下なんだろうって思ってました。うーん、そう言うとおかしいな…、問屋さんやお店が上なんだろう…かな?
―当時職人さんの立場が低かったんですね。
そうだと思います。…見ていて違和感がありましたし、社会人初心者で知識も経験もない自分には、そういう力関係みたいなものに全く興味が持てなかったんです。そうしないと仕事が来なかったのかなぁ…?
若い頃22~23歳ぐらいの時に、そういうのをたくさん見たんです。何が起きてるんだろうって思っていました。初めてこの国は全体的に歪んでるなぁと思いました。
周囲の大人を見ていても、何がしたいのか分からなくて。その先に何があるのか全く分からない様な状況だったので…。 それで、「ここじゃないのかな」と思って日本を飛び出してしまったんです。
―それから、海外ではどうされたのですか?
最初はカナダのバンクーバーに行ったのですが、びっくりしたんです。わかってはいたけど人種が入り混じっていて、そして大自然の中に機能的でコンパクトな都市があった。
センスのいい街があって、お店もちゃんと成り立っていて。街で見る革カバンなんかもかっこいい!ひとつの革素材でたくさんのバリエーションがあって、デザインも自由で、シンプルで、革でですよ。あとからそれらはイタリア製とわかった。
それは結構衝撃だったんです。でもあのときはカバンに戻るつもりは全然なかったんですけどね(笑)
―(笑)
思い切って外の世界に出てみたら、都市のストリートには若い文化があった、メッセンジャーが自転車で街を駆け抜けていたし、ビジネスマンはローラーブレードで通勤していて、バスは電気で走っていました。貧しい人にも買える様にとセカンドハンズ(リサイクルショップ)が既にあって、日本で高値が付く様なジーンズなんかも混じってた。
某大手コーヒーチェーンのお店もその時初めて見たんです。こんな垢抜けた喫茶店があるんだぁ、何で日本にはこういうお店がないんだろうと羨ましかった。なのにちょっと行くと大自然があるんです。もうびっくりするような半端じゃないのが。何だこれはってくらいのがね(笑)人も穏やかでした。
その後転々と旅をして、カナディアンロッキーの中にある観光地でドイツブランド(当時は西ドイツって言ってたんですけど)のバッグ屋さんで販売の仕事がみつかって、そこで働くようになると、日本で感じていた違和感が何だったのかが、そのとき結構つかめたんです。
―それは、どのようなものだったのでしょうか。
商品を買っていかれるのがほとんど日本の方だったんです。日本の方は「これは有名なの?」と聞く。それに対して「これは何で出来てるの?」「これはどこで作られたの?」って聞いてくださるのは、ほぼ欧米の方でしたね。
ある日の朝、日本の観光客の方たちがツアーバスでドッとホテルを出て行った後に、ホテル内の店を閉めてダウンタウンへ下る緩やかな山道を歩いていると、ヨーロッパかアメリカ人の老夫婦がね、手を繋いでゆっくりと散歩をしているんです。「いい天気だねー」なんてしゃべりながらホントにリラックスした感じで景色を楽しんでる。
―それは…素敵な光景ですね。
当時、日本からの観光客の方って、初老のご夫婦も多くて。一生懸命働いて、子育てして、子供達が手を離れて、歳をとって、時間ができてお金も少し自由になって、それでやっとカナダまで来たんだと思うんです、たぶん。
なのに詰め込み型のツアーで、これから氷河見て、次あれ見てどこ行って何食べてって感じでね、もう忙しいんです。ホントに。
山を見てるだけで泣けてくるくらいきれいなんです、ロッキーって。毎朝それを見ると、幸せだなぁと思える景色があるんです。
「これだな…」と思いました。どっちが良いとかじゃないですよ、僕には両方とも分かるのでね。そういうのが見えちゃったというか…。
店内、Libroシリーズのキーホルダーと、イタリア有数の名門タンナー『バダラッシ社』シモーネ氏のイラスト。「このイラストはね、シモーネが打ち合わせ中にめずらしくたくさんメモを取っているなぁと思ったら、イタズラ描きで木を描いていて、上手かったのでもらってきた絵なんです」と古瀬様。
その仕事で資金を貯めて、また転々と旅をする中で、―かなり間を飛ばしますが―、その後ヨーロッパに渡るんです。最初はイタリアのローマから入ったんですけど、…例えば、アメリカ大陸ってものすごく広大な大自然の中なんです。
それが今度イタリアはね、とにかく古いものがタイムスリップしたみたいにそこある。みんな人工物なんですよ、人が作った文化と歴史。アメリカ大陸とはまるっきり逆のもので。
古い街を守りながら、きちんと生活が営まれている事がまた衝撃だったんです。
そういうのを見てしまって…東京を思い出すと、当時の浅草にはまだ長屋みたいな家が結構あって、 僕が好きだったそういう街並みを「地上げ屋」がどんどん壊しては、そこに四角いビルを建てるっていうのを見てきているんで。なんだこのイタリアって国は!と思った。どうやったらこうなるんだろうと。
その後イタリア各地やヨーロッパを旅していくと、ほぼそうなんです。どこで工業みたいなものが営まれているんだろう?どこで仕事してるんだろうっていうぐらい長閑で静かで。
中部イタリアの山の中の街に行っても、必ず文化的な通りがあって、ワインなんかも歴史的なところがあったり、カバン屋さんもそうですね、自分の街に誇りを持っていた。
でも全体的にはのんびりしていて、明るくて、適当で、昼休みは3時間もとるし、夏休みは一ヶ月もとる。でも働き者で、休みが取れないような働き方をする方が、仕事が出来ない人と言われる。
日本人は過労死なんて言葉が出来るほど働いていたけど、くやしいですが、イタリアの革も生地もデザインも素晴らしかった。当時の日本とは雲泥の差がありました。
考え方や時間の観念にはとても強い影響を受けました。それは僕にとって本当に大きな収穫でしたね。
―その後はどうなさったのですか。
もっと世界を旅したかったのですが、イタリアでは働かせてもらえなかったので、資金もビザも切れて結局日本に帰ってこなければならなかったんです。
帰ってくると、日本は出た時よりもっとマズイことになっていました。バブルがはじけてその余波が世の中を覆っていました。
日本を出る時は少年漫画雑誌ぐらいあった求人誌が、帰ってきたらホントにペラっとしてて。履歴書を送っても、面接に行っても、全部断られるんです。4〜5カ月間位(笑)
―なかなか辛いものがありますね…(苦笑)
それから、全然違う職種なんですけれど(採用が決まって)、合格者で祝賀会までやってくれて。(それでも、)翌日電話で最後の最後に断られたんです…。お前なんか日本には必要ないって言われた気がしました。
ところが逆に燃えてきちゃって(笑)。ほとんどの採用の条件が経験3年以上で、即戦力。そうなるともうカバンしかないんです、革しか。カバンをやるならヨーロッパの匂いがするカバンを作っているところと思い、いろいろ見て回って3社に絞った。
皮革屋の知人に「仕事ないかなぁできればこの3社で」とお願いしたら「今大変だよ~」なんて話になるんですけど(笑)、1社から話が来た。面接に行ったら、明日から来てほしいってなって、まぁ就職が決まったんですね。
そこからはもう嵐のような3~4年でした。イタリアの田舎からいきなり渋谷のど真ん中の会社ですから。さらに数ヶ月後の展示会に出品してほしい、となって。
―入社してすぐにバッグのデザインをして、いきなり展示会ですか!なかなかハードですね(笑)
しばらく図面も書いてなかったし(笑)でも必死でやったんですよね。
そこからは本当にまっしぐらです。CORBO.のベースになる職人さんとか皮革屋さん金具屋さん、僕の知識とか考え方はその約3年間に凝縮されてるんです。
あと、僕が入社してしてすぐに、そこをでて独立したすごい先輩がいたんです。常識を壊す。その人は革を心から「カッコイイ」と言っていました。
革は高級で扱いが難しくて、こうでないといけない、ここは守らないといけないという既成概念が強くあった。それを壊していく新しいムーヴメントが静かに熱く動きはじめていました。
壊すというか、そうじゃないんだ、革ってのはもっと「カッコイイ」もんなんだっていう、そんなデザイナー達が現れ始めて、僕は間近にいて強く共鳴して、尊敬して、かなり影響を受けました。
先輩たちが抜けた後も、その会社の社員はみんな若かったし、チームワークもすごく良かったんです。史上最高売上も叩きだした。頑張って働いてみんなで社員旅行に行こう!という、良い空気だったんです。直営店も3店舗プロデュースさせてもらいました。
でも、ある日、倒産したんです。その意味があまりよく理解できなかった。仲間と別れなくちゃならないし、お世話になった職人さんたちや協力していただいた人達にものすごく迷惑をお掛けしたんです。茫然自失、その時は相当に落ち込みました。
―それは大変でしたね…、心中お察し致します。…その後はどうなさったのでしょう?
僕らをもったいないと言ってくれた職人さんの繋がりで、別の会社に誘って頂いたんですけど。もう嫌だった(笑)。先にそこに入社していた仲間が電話をくれたり、家まで説得に来てくれてたりしましたが断り続けました。
でももう断わる材料がなくなってしまって、苦し紛れに、絶対拒否されるだろう無理な条件をたくさん出したんです。自分のブランドを作らせて下さいとか、事務所が必要だとか、デザインには一切口を出さないで下さいとか、ものすごく無理な条件を出した。そしたらね、全部飲まれちゃったんです(笑)
―飲まれちゃったんですね(笑)
そうなんです、たぶん仲間が交渉してくれたんだと思いますけど。もう逃げ場がなくなってしまって、結局その会社に入りました。
(そうして入社して、)ガランとした事務所にポツンと1人になった時に、正直久しぶりにビビったんです。やりたいことをやるんだとか、作りたいモノを作るんだとか威勢よく言っていたんですけど。
いざ全部やっていい、となった時、自分は何がやりたいのか本気で考えました。小手先で売れる物を作るのは簡単なんです。でもそれではブランドにはならない。
だからデザインを描きまくる、描くとね、影響を受けてる人達に似たデザインを描いてしまっているんです。完全にオリジナルでサンプルを作っても「あそこのに似てるね」と誰かに言われると、ものすごく悔しかった。
今までにないムーヴメント、この流れが新しい、これが自分の進むべき道だと分かっていたのだけど、描くと先を走ってる人達のヨウナモノに分類されてしまうんです。
その時に本当に深く考えたんですよ、なんだと、何がやりたいんだ自分はと。場所もチャンスも与えられた。仲間もいる。ブランドって何だ、物作りってなんだと真剣に考えたのは、正直その時からのような気がします(笑)
―そうなんですね(笑)
あの時、本気で自分の内側としゃべったんですよね。おまえは何を感じているんだ、何が嫌で何に怒っているんだ、この状況で何をするんだ、と。
濃い霧の中にいる感じで、八方塞がりでした。頭がおかしくなりそうなほど考えて、考えて、思い出したのが、旅の中で感じたあの、のんびりとした欧米の空気でした。
“自分の周りから、考え方や時間の観念を欧米のようにしてみたら…”と思ったんです(笑)
運のいいことに。0からよりも僅かながら理想に近い場所から始められる、この状況を活かさない手はないと思った。発想の転換です。あの時は興奮しました、僕がやらないと!と思った、本気で。僕がやんないとこの国は…とか思ってた、バカでしょ?ノーテンキですからね(笑)
―(笑)
最初のころは一気にやってやろう!と思っていたんです。雑誌に出て広告とかでワーっと。まだネットがない時代です、CORBO.を始めたときはケータイも持っていなかった。ベースを作るまでは一人だったから仕事は留守電とFAXです。
それからは全方向へ体当たりし始めた。でもまぁ全然何にもなんない。お前どこの誰だよみたいなことになるんです(笑)。
それで自分が何者かだんだん判ってきたんです。何にも成してない、ただ威勢のいい若造なんです。誰も話を聞いていないし、お前と仕事したらいくら儲けさせてくれるんだ?みたいな話ですから。話を聞いてもらうにも何も、やっぱりまず実績なんです。そんな若造がやりたいことで実績をあげないといけないから、キツかった。
―実績を積み上げる上で、どんなご努力や工夫をなさったのですか?
切り替えたんです。一気にやるとか、ボカンと突き破るとかじゃなくて、じわじわ行くぞ、じりじり行くぞと。一歩でも前に進んでやると。登山のようにね。元々登山やってたので(笑)
とにかく、まずは自分の目の前の人間からです。まずは職人さん。ムーンレスナイト(シリーズ)を創った時もそうです。職人さんもこんなモノを作ったことがないんです。だから毎日通うんですよ。とにかく朝から行って、「ここはこれなら出来ないですか?」と(笑)。それでも粘っていると、いろんな技術が出てくるんです。粘って粘って作り上げる。
次はCORBO.の仲間ですよ、ある意味一番の難関でしたから(笑)。作る物全部「高い高い」って、「こんな高いモノ売れないよ、かっこいいのは分かるんだけど」って。
「こういうバッグで、革で、無名で3万~5万円代なんて…それだけ出すならブランド物を買う」とかね。「わかってないなぁ…」って思ってましたけどね(笑)。だけど、市場に出るとさらに高いっていう評価をされた。しかもこれ誰が持つんだよ?みたいな世界です(笑)
―それだけ、当時において斬新な事をされようとしていたわけですね。
だから、コンセプトや―そもそものスタイルから説明していく事になるんです。当時「ニューヨークではスーツにスニーカーで、リュックを背負って自転車で会社に通ってるんだ」なんて、今なら何でもないと思うでしょ、当時はびっくりするようなことなんですよ。そういう自由なスタイルがあるんだっていうのを伝えたかった、変えていこうよっていうのがやりたかったんです。
日本のビジネスバッグは芯がぱきーんて入ってないといけなかった。僕にはみんな同じに見えました。それが良しとされてたし、色は落ちちゃいけないし、変 わっちゃいけないんです。だからビニールで良かった、合皮で作ったものも革もおんなじ顔してて。クロム鞣しで顔料べったり塗ったものだけが良い革と言われ ていたから。
今は―、CORBO. の皮革を見て、革らしいと、こういう感じが本当なんだよねって、みなさん分かっていただける。日本のお客様の皮革を見る目は相当レベルが高くなってると思うんです。今の若い人たちはホントにレベルが高い。当時僕があこがれたヨーロッパの人たちに近いっていうか、このまま行ってほしいなって思っていますよ。
CORBO.って本来はイタリア語で「CORVO」と書いて意味は「カラス」です。思い出深い「CORVO」というワインと日本で再会したのがきっかけです。なぜ V を B に代えたのかというと、意味が明確になりすぎない造語にしたかったんです。
でも日本人が持つカラスのイメージってホントに悪いから。これでいいのかなぁと思って「カラス」についてよく調べてみたんです。ところが「カラス」って調べれば調べるほどすごいんですよ、すごく頭が良い。
人間以外で体全体に対する脳の比率が一番大きい、もしかすると人間以上かもしれないくらいカラスは脳が大きいんです。あと、遊ぶ。大体の生物は遊ばないんです、生きるために生きてる。
無駄な動き、遊ぶのは頭がいい動物だけなんです。カラスは銀色のものを集めたりするんです。食糧を隠して貯めたりもするんです、道具を使うこともある。結婚をするときはプロポーズをするんですよ、オスがメスにちゃんと食べ物とかプレゼントを持って。
―そうなんですね!
そして、つがいになると死ぬまで添い遂げるんです。よく人を襲うなんていいますけど、あれは5月ぐらいの彼らの子育て期なんです。
―確かに。電柱の上などから、あっちいけと言わんばかりに威嚇されたりもしますしね(笑)
そうですね。視点を変えれば、あんな大きな鳥が、こんなに人間に近い所に住んでいるっていうところがすごいんです。―普通は絶滅しちゃうんです。だけど人間が作ったものを何とも思わず巣をつくる。5月にはその巣でまた子育てをする。近づいてきたらただじゃおかないぞって。なんかすごいと思ったんです。
僕はそのとき、欧米で見てきた自然な考え方や時間の観念を自分の周りだけでも…、と思っていたから。 そうなればきっとみんな幸せになる、職人さんも幸せになるし、お店の人達も幸せになるし。そこから仲間を増やしていけば何とかなるだろうって思っていたから。なんかね、それがカラスとダブったんですよ。
CORBO. 職人の皆様の製作風景
調べれば調べるほど『CORBO. 』しかないと思ったんです。CORBO.のロゴの下についてるSIAMO NATI LIBERIという言葉ですが、イタリア語で、直訳すると『私たちは自由に生まれてきた』というような意味なんですが。
鳥瞰で世の中を見渡して、頭を使ってよく考え、知恵を出し合って行けば、少しずつ変えていけるという意味を込めました。自由について考えないと、自由にはならないんですよ。それがCORBO.の名前の由来であり、スローガンです。
―そちらの方がみんなが幸せになれると。
そうですね、まずは自分の目の前に来てくれた人と真摯に向き合う。そうしたら、ノウハウとかで進んでいくよりもずっと手ごたえがあるんです、経験上。
―なるほど…。そういった思いはどういう風に製品に反映されているのでしょうか?
それは話し出すと止まらないなぁ、どうしよう(笑)。とにかくね、1つとして無いんです。 思いが込もっていないものが、誰かと関わって作ってるので。
面白いのが、僕の作ったカバンが僕には似合わないんですよ、ホントに(笑)。これはなぜかというと、持たせたいモデルがいるんです。架空でもそうですし、 実在でもそうですし、あとは出来事からとか、そういうので作るんですよ。今はお店にたくさんお客さんが来てくれたり、色んな出来事が起きますからね。
ここにね、(CORBO.のロゴマークの下の)SIAMO NATI LIBERI 以外にも文章があるじゃないですか。(ロゴマーク付近を見せていただきながら)
『CORBO. Defining individuality tailored with a subtle expression.』って。意味はね、“コルボは繊細な表現であなたの個性を活かすことを約束します”みたいなことを言いたかったんです。ちょっと難しいんですけど。
―難しいですね(笑)。詳しくお話をうかがえますか?
強い個性を持った方々とお話をするじゃないですか、話すと、何かを感じたりリスペクトしたりするんです。僕はそれをエネルギーにものを作るんです。―個性を持った人同士がしゃべって、リスペクトしたり、影響を受けたり、色々疑問に思ったり、ということの中からデザインが起きる、そして何年かしたら、またここに作品が並ぶんです。
―なるほど。
そのときの人間が全く意図しない人、その出来事を全く知らない人がその作品にインスピレーションを受け、惹かれて手に取ってくださる。僕がデザインソースにした人間ですとか出来事を知らずに、どういうわけか、惹かれて買っていただいているんです。
そしてまた繋がり、いろいろな人たちが来てくれる。そしてまたインスピレーションを受けたり、疑問やリスペクトが生まれて作品が産まれる。その連鎖のことを表現してるのがこの文章なんです。
(左)作業中の、CORBO.職人の皆川様 (右)皆川様と、CORBO. 10周年記念モデル Famiglia(ファミリア)
―個性を持った人たちが話して、共鳴して、作品が産まれて、また連鎖が起きて、循環していくわけですね。
もっと言うと、それが大きくなっていけば、良い感じになるんじゃないかって思うんです。先ほどお話しした、僕の目指してる、みんなが幸せになるとか、もうちょっと自由でかっこいい日本になるんじゃないのかっていう。お客様にもっと作り手に興味をもってもらえるし、そうすれば職人さんももっとリスペクトされるようになる、もっと強いつながりが生まれると思うんです。それをデザインしたいんです。
そうすれば革ってのは牛なんだと。牛とか羊とか山羊とか馬なんです。みんなどこかで草を食べたり、牧場を走っていたんです。同じ空気の中でね。そうした動物を食べて、その皮を利用して、何十年も使えるようにしてしまおうっていうのが皮革製品なんです。そこを理解すると、非常に根本的なことが理解できるんです。
―根本的なことが理解できる。
はい。それは全部がつながっていくことなんです。林業だったり農業だったり漁業だったり。それがちゃんとしないと僕らの皮革製品もちゃんとしない、そこがちゃんとしないと社会もちゃんとしないんです。
だからまずは、目の前の人とちゃんと話をして、影響されるとか、されないとかが大切なんです。間違っていれば、嫌われても言うべきなんです、「あなたの考え方は間違ってる」って。全部だなんて思ってないですよ、みんな100%自分が正しいとは思ってないです。
ただ、自分が瞬間で、今のタイミングで正しいって思ったことは言うべきですし行動するべきなんです。そしてある時は、間違えてるって言われるべきなんです。
それをもう丸出しにしているのがCORBO.の作品です。だから仮に製品が使いづらいとか硬いとか言われても全然平気なんです。なぜかと言うと、自分の中で考え尽くしてあるんです。
じゃあ、使いやすいように合わせますかって言ったら、全部一緒の個性のないモノになります。だからそこはもう…しょうがないですよね、CORBO.ってのはこういうしょうがないコトの塊なんで(笑)
―しょうがない(笑)。…私ね、このAlgoritmo THE RAIN RIPPLES(アルゴリトモ レイン リップルス)シリーズがすごく好きで。(カバンから自分の長財布を取り出して)
おぉ、ありがとうございます。
―この素材、『プエブロ』もそうですし、デザインも。とにかくたまらないんですよね(笑) 使いやすいかっていうと、必ずしもそうでもない時もあるんですけれど。でも、たまらない愛着を感じるんですよね。
これを言ったらあれですけど(笑)、使いやすいモノが良いモノかっていうのは、ちょっと考えた方がいいと思うんです。合理的なものとか、効率的なものとか、世の中それだけでは成り立っていないんです。
『アルゴリートモ』(伊)って「アルゴリズム」(英)の事なんですけど、違うコトに聴こえませんか? これはCORBO.式アルゴリズム、アンチアルゴリズム?と言い換えてもいいです。最適はそれぞれ違うはず、こういうのもあったって良いじゃないかって事なんです。
ただ、大切な人間を―職人さんたちを巻き込んじゃってるから、その人たちの生活もあるので、遊びじゃだめなんですよ。本気でやらなくちゃならないんです。本気で遊んでるんですよ。…うーん、違うな~(笑)本気で遊ぶっていったら違いますね、なんだろうな。
―遊ぶように本気で仕事する。
…うーん違う(笑)。だから…みんなが無駄だって言ってるようなことを、無駄だと思っていないってことです。簡単に言うと。
―無駄を楽しむ。
楽しむというんじゃないです(笑)。それを僕たちが良いと思っているから、大切にしているんです。
使いにくいんだったら使いやすいように、こうしてみようって、それぞれが考えるべきだと思うんです。そこが楽しいんです。そこが足りないんです今の時代。
―なるほど。
例えばお客様から時々お叱りをいただくことがあるわけです。お話をうかがうと、どうやらお尻のポケットに財布を入れて使っていたら、買ったばかりなのに革にブツブツができた、この皮革は不良だと。
―ブツブツですか。
「水ぶくれ」ですね。真夏だったのでそういう使い方をしたら、汗が染みてしまうので、たとえ使ってすぐであっても、何カ月後であっても、そうなるので「夏だけでも汗が付かないところで持たれた方がいいですよ」と説明させて頂きました。でも「お尻に入れて使うためにこの財布を買ったので、「使い方は変えられない」とおっしゃる。
それは自由です。ただ「水ぶくれ」は出来るし色落ちもします。水とか塩分、汗と革との関係っていうのは原始の頃からずっとそういうもので、それこそ原始人の時代からの歴史があって、同じことをやってきた。それをお尻のポケットに入れたいからこの「水ぶくれ」を出さないようにっていうことは、やっぱり無理なんです。
―なるほど。
僕がそういう時にお伝えするのは「それはあなたのモノです」ということなんです。その人が一生懸命働いた、誰かを喜ばせようとした仕事で稼いだ大切なお金を、何かを感じて僕たちの作ったものと交換しようと思って頂いた、対価として替えてもいいと思ってお買い上げ頂いたわけです。 それはその人の人となり、センスなんです。手にした瞬間にその人の一部なんです。 僕たちのモノではなくなります。
もちろん、僕たちは自分が作ったモノに責任があるので、出来る限りの事はさせて頂きます。でもどう使われたとしても、それはその財布やバッグの運命です。それぞれの人生ですからね。
―ええ。そうですね。
「あぁ「水ぶくれ」になっちゃいましたね…。」って僕も思います。だからといって、これからは顔料を塗って、防水スプレーを塗って販売させて頂こうとは思わない。かといってそのお客様を説得して、絶対にそんな使い方をしないでください。という風にも思わないんです。
もっといえば、僕たちはその「水ぶくれ」も良いですねって言ってあげないといけない。 これはこれで良いと思いますと。そういう持ち方をして、人生の何か月間を一緒にいてくれた。もしもご自身が嫌だなと思ってお持ちなのでしたら、それはやめるべきだと思います。
でも僕はいつもどなたのモノも本当に良いと思ってますよ。それぞれの人となりが出ている。 それで勉強になったり、反省したり一喜一憂してます。モノってのはそういうものです。
同じ型で作っても、作る人が変わっただけで違うカバンになるのと一緒で、使う人が変われば違うものになります。元々、同じものもないわけです。
―天然の革には必ず個体差、傷やシワがありますからね。
僕達にだってあるでしょう?
―ありますね(笑)
傷のない生き物なんていない。では…怪我をしないってどういうことだろうか?例えば、狭い所に押し込んで…ということでしょう、それが生き物らしいか?生物としてちゃんとエネルギーを持ってい るのかといったら、僕はどうかと思います。だったら元気で傷だらけの生き物のほうが健全です。
顔料の革を選ばれるのも良いと思うんです。そうした傷やシワなどの個体差をなくして、何年経っても変わらないように開発した、これもすごい技術なんです。多くの有名ブランドも使っています。
今はクロム鞣しも、クロムを使わずに良い素材ができるようになっていますし。そういうことを勉強していければ、変化しない革っていうのもエコにもなるんです。何か色んなモノをエコと言うけど、革ってエコだしすごいですよ。
修理品でも、お客様には一生モノはないとお話しています。一生モノって「硬い」というイメージがあるでしょ、でも実は柔軟じゃないといけない。
何もせずに孫の代までモノが存在すると思っている事自体が間違っていて、ホントの種明かしをすれば、そのカバンや財布に関わっている職人さんや革屋さん生地屋さん金具屋さんもみんな、時代に柔軟に対応して、継承されていればいつまででも直せます。
お客様も含めた関係も大事ですし、その中で人を育てて行く事が大事ですよね(笑)
―確かに一生モノとなると、堅いイメージがありますね。大切なのは柔軟さ…、目から鱗の気分です(笑)
お金を稼ぐことだけに偏っているとバランスが取れないんです、世の中バランスなので。お金がだめだって言ってるわけじゃないですよ。
「無駄なことを無駄と思ってない」とか「カラスが遊ぶ」というところでもお話しましたけど、その仕事で生活してる人がいる以上、僕たちは売らないといけない、責任なんです。でも、大事なのはその売り方(仕事の仕方)なんです。 話が飛んでばっかりで申し訳ないですが…(笑)
―いえ(笑)
―日本製のものづくりへのこだわりなど、宜しければお聞かせ願えますか。
作りに対してのこだわりとか、コンセプトってことになると、全体的なことになって、全てに当てはまってきます。
僕は必ずしも国産にこだわってるわけではないんです。インスピレーションが合って、技術が巧ければ CORBO. は誰とでも組むので。
ただ順番として、まず自分たちがお世話になった人達に恩返しをするのは人として当たり前で、そこを飛び越えて海外に行くっていうのは考えられないんです。まず地面をちゃんとしたい。今 CORBO. は完全にその難関に直面してはいるんですけどね。
―身近な方々と幸せになっていく、飛び越えてはいけないという、結果としてのMade in Japanなんですね。
そうです。僕は別にMade in Japanにこだわっているワケではないし、革素材にだけこだわってるワケでもありません。
CORBO.をはじめた頃、―例えば生地って大きなロットで買わないといけないんですけど、革ってね、なんとか説得すれば1枚からでも売ってくれたんです。しかもナチュラルなモノは自分でちょっと手を入れられる。揉んだり、オイルを入れたり染料を入れたり出来る。無名の人間が表現していくにはいい素材なんです。
それに歴史もあるし奥が深い、そこにも職人さんがいてね、いろいろ教わりました。勉強すればするほど止まらないんです。 生地がキライなワケじゃないし顔料もキライなワケじゃない。それぞれ機能があって、人間が考え出したすごい知恵なんですよね。
―なるほど。
それと、これはなかなか複雑でもあるんですけど…。以前、CORBO.の製品も作って頂いたことのある付き合いの長い熟練の職人さんがいるんですね。
その人は今バングラディシュにいるんです。工場で指導をしています。やっぱりCORBO.の仕事はもう出来ないので、一時帰国されたときに、これまでのお礼を言いに会いに行ったんですね。
一緒にご飯を食べながら、色々なお話をしたんですけど、指導をされているのは向こうの若い人達ですよね、ホントに子供なんです。
10代 20代の子たちが一生懸命働くそうです、家族が貧しいから。日本の企業に勤められるなんて、すごいコトなわけです。しかも普通、職人は絶対に技術を教えてくれないのに、日本人の職人は目の前で見せてくれるから熱心に学びに来てくれる。
そしたらさ、もう日本の職人さんたちが大先生みたいになるわけです。子供たちはもうキラキラした尊敬の眼差しで、先生って。ご苦労もあるようだけど、その人は…幸せだよね(笑)
―間違いないですね(笑)
それを批判するのはおかしいんです。この人は尊敬される価値がある人だと僕はずっと思っているから。ちゃんと評価される場所に行ったんだ、という考えです。逆に言うと、日本にはそれが無かったんだと思います。
人生は一回しかないんだから、その人はそこへ行くべき人だったんだと思います。その人が教えた子供たちが、その国を豊かにして、近い未来、日本への製品を作ってくれたり日本に仕事を出してくれたりするっていう、例えばですけど、そういう大きなサイクルで見ればいいんです。そこに全く憤りは感じない。
―全てつながっていると。
同志ですから。その人は日本にいたらいつか辞めなくてはならなかったのかもしれない、その人の技術が途絶えてしまうと考えたら、行った方が良かったんです。ただCORBO.は寂しくなるんですけどね(笑)
今、日本は緊急事態なんですよ。みんな平気で人件費が安いという理由で海外に行って、人件費が高くなったらサッと引き上げてもっと安いところへ…。なんと勝手な事をやっているのかと思います。もっと繊細に仕事をした方が良い。
近い未来、創造性を必要としない仕事は機械(人工知能)に取って代わられるという米国の研究があります。しかもこれは止められないといいます。人件費が安い国へ行くと言う考え方は、コストが安ければ機械でも別にいいということでしょう?
―そういうことになりますね。
効率だけを求めれば、いつかアルゴリズムに飲み込まれます。考えずに進めばそんな未来が待っている。なら知恵を使って柔軟に、創造性のある仕事をすれば良いと思うんです。
革をやってきて…、これはすごく大事なお話をするんですけど、朽ちていくスピードという話。
―朽ちて行くスピード…ですか。興味深いです。
CORBO.では革を育てるという言葉をよく使います。メンテナンスや修理をするんですが、そのケアをするっていう行為って興味深いと思うんです。最近はご自分で革のバッグや財布をメンテナンスしたいというお客様も多くなってきています。以前はあまりそうしたお客様はいらっしゃらなかったのに、これはどういうことかと…?
僕も休みの日にのんびり靴にオイルなんかを塗っていると、気持ちが落ち着くんです。スッキリして小さな達成感もあります。あたりまえのようだけど、この感じはなんだろうと思っていました。メンテナンスをするとお客様も皆さんとても喜んでくれる。
それで、タンニンについて調べているときに、木が朽ちていくっていう話に繋がるんです。 生き物の皮も朽ちていくんですよね。「朽ちる」ということはどういうことでしょう?じゃあ、カナヤマさんが朽ちるってどういうことでしょうか?
―朽ちる…。
…死ぬってことですよね。もっと突き詰めていくと、分解するってことです。分子とかになるってことです。分子に分かれたものはまた、食べられて、取り込まれて、染色体の設計図で組み立てられて、奇跡的にこうなる、この形になるんです。それが循環ですよね。
革ってのは死んだ生き物の皮が朽ちるのをくい止めているんです、ギリギリで。昔からの人の知恵で。 だけど、カバンを作っても財布にしても、やっぱり朽ちていくことは止まらない。スピードがゆっくりになっているだけで。
これはもう何でもそうなんですよ。(木の机をノックして)これもそうです。朽ちていくことからは逃れられない。宇宙の決まり。「エントロピー増大の法則」と言うらしいんですが秩序あるものはすべて、無秩序の方向に向かって行くそうです。
―なるほど。
木もゆっくりだけど、朽ちていってる。それをくいとめて、ゆっくりでいられる力のひとつがタンニンです。そのタンニンを引っ張り出して、皮に入れて、皮を木みたいにしてるんです。木の朽ちるスピードにしていこうと。クロム鞣しは人間の知恵でスピードを落としてるわけです。
つまり人間がごはんを食べたり、ハンドクリームを塗ったりするのとおんなじことなんです。彼ら(革)は死んでいるので新陳代謝をしないから、人間がやってあげるんです。
だから結局革に対してオイルを塗ったりメンテナンスをして癒されるってことは、やっぱりそれが生きるっていうことに繋がるからだと思うんですよね。生かすってことなんです。そこに快感を覚えるのは生き物として当たり前なんです、その行為自体に。
だからメンテナンスをしてあげなきゃと思うんです。メンテナンスの仕方をお伝えしなくてはと。 革ってのは深いんです。深くて近いんです。原始にも近い。そんなことを思いながら、自分が持っている革製品を眺めて見れば、違う風に見えるかなと思うんですよね。
―そうですね、より特別な存在に思えてきますね…。
ちょっとロマンチックなことを言うと、カナヤマさんの持ってるこの財布も、この革も、どこかにいた牛なんですね。それが奇跡的にどこかのタンナーさんに行く、これはたまたまバタラッシー社に行って、皮革のクリエイションをしてるシモーネのところに行って、プエブロという革になった。
そのプエブロを作ってるシモーネと古瀬が共鳴してプエブロを使おうと思った。そして、これ(RIPPLESの長財布)を職人さんが作ったわけです。そして、それを良いと言って共鳴してくれたのがセンティーレワンであったり、カナヤマさんで。
その中でも、この一本を選んでくれているんです。この一本ていうのはどこかの一頭なんです。一頭のどこかなんです。それってすごい縁なんですよね。
という風に見ると、もうたまらなくなってくるんですよ。大事にしなきゃならないんです。メンテナンスをすると癒されるのは当たり前なんですよ、朽ちるのを止めて、一緒に生きてるんだから。
―深いお話です。
こういうのは重いから、なかなかお話をすることもないんですけれどね(笑)
―古瀬様のご愛用のCORBO.のお品を見せていただくことはできますか?
これでいいですか?(笑)製品ではないんですけど。別注のカメラバッグをデザインした時のサンプルです。一眼レフカメラが入る。良いでしょ。
―いいですね!愛用されてどのぐらいになるのですか?
ん~どのくらいかなぁ2~3年かな、もっとかな。可愛いでしょ(バッグの中身を出して)。あっ弁当(笑)
―弁当(笑)
これ、弁当入れるのにちょうどいいんです(笑)。あっこれも(財布を取り出して)。
―これは…スレートですよね。
そうそうそう、スレートですかってスレートですよ!(笑)ひどいでしょ、ブタ財布って言われる(笑)
―いえいえ(笑)これはすごいですね、たまんないですね。私も自分のスレートのキーケースが結構いいエイジングをしてるな~って思ってたんですけど、まだまだです(笑)
使用前の物と並べると、こんな感じです。ずっと一緒にいると形も馴染むんですよね…。ホントはこの財布はサブなんですけどメインになっちゃって。これだけで生活してる。ホントに。
―素敵ですね~、これは。こちらは何年くらい使われているのですか?
全然、記憶にないんですよね(笑)これね、サンプルだと思うんです。自分で使ってみてどうかなっていう。ほぼ原型のまま、商品になっているんですけど。
これが一番使いやすいんですよ~。ファミリアのタグの部分(バッグのICカードケース部分を見せていただきながら)。これだけでどこまでも行けちゃうから。SUICAが入ってるからピピって、コンビニとかでもね。全部サンプルだ。
―今後のCORBOさんの展望をお聞かせ願えますか。
そうですねぇ…。同じペースで行きたいですね。CORBO.はスピードが遅いので、すごく難しいですが(笑)そのために色々な努力が必要です。これから日本がどうなるかはわからないですから、色々な状況を踏まえて情報は入れています。
心配しているのは、大資本によるチェーン店化、フランチャイズ化。あともう一つ、敢えて言わせてもらうとネット通販。
通販の人たちが考えるべき事はたくさんあると思います。すごい力を持ってしまったのですから、あなたたちがちゃんと未来を考えて仕事をしないと、危険な方向に行くのは間違いないです。僕らの展望っていうのはそう、そうならないようにしていくこと。
大きな力を持ったら、守るものをちゃんと持たなくちゃいけない。保護するとか、協力するとか、お金だけじゃなくてですよ。コミュニティを守っていくということです。それを抜きにしたら、畑がないのに市場があるみたいなことでしょ。
畑っていうのは簡単にはできないし、土もそう。畑の土ってのは、死骸なんですよね。命の死骸というか排泄物というか。その積み重ねの上に、草が生えたり野菜ができたりするので、積み重ねの原理は何にでもあてはまるんですよ。それ以外は全部砂とか鉄なんでね。
―なるほど…。
職人さんがいなくなったら売る人達もいなくなる。ウナギがいなくなれば蒲焼きがなくなるんです(笑)いなくなって初めて何かをやろうとするでしょ。手遅れなんです。今既に手遅れ状態だから、今からやっても間に合わないかもしれないぐらい、びびって僕はやってますよ。
なので、境目なく作って国境なく売るっていうのが、通販の人達の使命なんじゃないかって思います。インターネットってそれが最大の武器でしょ。だったら、地面を大事にして、世界に出て下さい。
…こんな感じで大丈夫ですか?ちゃんと的を得てます?(笑)
―バッチリです(笑)。守るものを持つ―、非常に考えさせられますね。CORBO.のものづくり、想い、バックグラウンドをより深く理解できたように思います。今日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました!
CORBO. works&shop 前にて
お名前:丸山 学 様、丸山 洋子 様(会長ご夫妻)
職人歴:42年
担当されている工程:全行程
思い入れのあるシリーズ:スレート
製作当初から、切れ目、本磨きで、私たちも古瀬さんも 「この商品を絶対に売るのだ!売れる!!」と確信を持っていました。
ものづくりで大切にされていること: 私たちのモットーにもなっています。
『使う人の立場を考えて作る』
『寸法は正確に、直線は直線に、Rは商品に合ったRを』
お客様へのメッセージ:数多い商品の中から、私たちの商品を気に入って選んで戴くために 又、少しでも多くの人に喜んで使っていただけるよう日夜、努力しております。
お名前:原口 博利 様
職人歴:20年
担当されている工程:型紙・サンプル製作・全行程
思い入れのあるシリーズ:スレート、素材とデザインが良い。
ものづくりで大切にされていること:直線は直線に、RはRに。ヘリ返し、刻み、ミシン、それぞれを丁寧に作り上げています。
お客様へのメッセージ:お客様に納得していただける財布です。
お名前:菅谷 哲司 様
職人歴:2年
担当されている工程:貼り込み・部品縫製
思い入れのあるシリーズ:スレート・キュリオス
ものづくりで大切にされていること:まず自分が欲しい、美しいと思える品を作る!という心持ち。常日頃から良い品を探し、自身に活かせるポイントを研究すること。
お客様へのメッセージ:機械では作り出せない、手作りならではの温かみを少しでも感じていただければ幸いです。
お名前:荒木 裕司 様
職人歴:4年
担当されている工程:型紙とサンプル製作補佐・全行程・修理品全般
思い入れのあるシリーズ:アルゴリトモ(リップルス)
シンプルに見えますが、作業工程がとても複雑で苦労します。しかし出来上がった商品はとても特徴的で、誰にでも愛される一品だと思います。
ものづくりで大切にされていること:お客様が大切にされ、共に成長でき、永く使っていただける様に考えて作業しています。
お客様へのメッセージ:ミシンひと目にしてもお客様が納得していただける様、強い気持ちで作業に打ち込んでおりますので 今後ともコルボ製品をよろしくお願い致します。
お名前:沼倉 静香 様
職人歴:4年
担当されている工程:縫製・全行程
思い入れのあるシリーズ:スレート・キーケース(8LC-9376)
初めて作った製品なので
ものづくりで大切にされていること:ひとつひとつの工程を大事に作ること。
お客様へのメッセージ:お客様に気持ち良く使って頂けるよう、ひとつひとつ大切に作っています。
CORBO. 古瀬様、職人の皆様
―CORBO.様、古瀬様、職人の皆様、貴重な時間とお話をありがとうございます!