まり椀・奥田志郎|和食器の愉しみ・工芸店ようび|夏は家派!

椀の旅 まり椀

 私が弥生土器の"まり"に出会ったのは、十年ほど前のこと。辻留のおやじさんが"やれるか"と、桐の箱共貸してくれたのでした。二年間ほど私の仕事場に居た-。時折、そっと出してみる。落とせばこわれそうな、うすくて、やわな"まり"、しかし手の平にすっぽりと入る。自然の中で、先人が生きていく為に、どうしても必要な器であった"まり"そのメッセージを、私はきく事が出来た。

 いよいよ木器として「レプリカ」に-私は木地師さんにたのんで、欅材で挽いてもらい、素地磨き、刻苧、布着せ、そして生漆を塗り、地の粉を蒔き込んだ。

 "蒔地法"は、素地に密着して最も堅牢である為、弓を塗る下地として応用された、と「日本漆工の研究」(沢口悟一著 美術出版社)にあったのです。そして、素地と漆が、その一行程になじむ時間を待ちながら仕上げてみた。

 "漆"程すばらしい塗料はないはず、強力ではないけど、丈夫なものです。但し、丈夫である為には、その工程もさる事ながら素地がしっかりしている事と、使う人がそのものの性質を知る事がまず第一。たとえば現代の台所では、ステンレス槽の洗い場で、陶器やガラス器と一緒に洗うことが多いので、洗う時そのもの達の硬度を考えてあげればいいのではないか、と思う。

 東大寺のお水取りで「食堂作法」を見せてもらった折り、籠りの僧の使った椀を、熱い白湯の入った大きな桶に、全部入れて手早く洗い上げ、拭き上げていた。椀達は湯の中でカラカラと鳴っていた。どこかのケース越しに鑑賞されるようになった"根来塗"と称している椀は、実はこの「食堂作法」に必要な"朱塗椀"だった。あのまま使わないでケースにかざっておくと、素地も、漆も枯れてしまうのではないかと気づかわれる。やっぱりこの風土の中で時折、息をさせてあげねば・・・・

 "まり"に出会う前、「合鹿」(奥能登の柳田村)で生産されたと云われる椀と出会って、そのレプリカに夢中となった。今もその事が私の出発点であるのは、その椀が生きて来た刻の中に、避けることの出来ない人間の生き方を教えられるからです。

 近頃、使わない漆器がはんらんしています。実は、この事が現代の漆器産地の栄華です。不様な形、不必要で無能な加飾、私の生きている母なる国"輪島"がこの事に一番熱心です。たしかな素地、漆、塗り、そして使う人のたしかな生活。そんなことを念じつつ私は今日も、椀の旅をつづけております。

奥田達朗

この文章を書いた約十年後の1979年、彼は四十七才の生涯を閉じ、この意志は弟奥田志郎に確実に引き継がれています。

工芸店ようび 店主 真木

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