京焼・清水焼
歴史を遡れば京に焼きものがなかったのではありませんが、それはとりあえず置くとして、京焼と云う名前は桃山時代初期頃に楽焼に近いものから始まったと大まかに考えるのが妥当です。明治維新以後は清水寺に通ずる何本かの通りに多くのやきもの屋があったところから、清水焼と呼ばれるようになりました。
現在清水焼は一般的に磁器を指しますが、本来京焼は土で焼いた陶器だったのです。粟田口、清閑寺、五条坂、御菩薩(みぞろ)ときめ細かなやわらかな土を用いてていねいで優雅なもの(特に茶道具)をつくったのでした。
京焼は公家や武家、上層町衆、寺院、茶家などの需要に応えてこまやかで、上等のものと云うイメージが今に至っても定着しています。おしゃれで華やかで、それでいて雅味のあるもの。それこそ都人(みやこびと)の求めるものだったのです。
その頂点に立つ仁清、それにつづく陶工たちは上層の都人たちを顧客として、センスと技術に磨きをかけていったと思われます。その伝統を守りつづけておられる何軒かの家はあるものの、産地としての京焼の伝統は失われてしまっています。
ようびは「乾山」に行きつきたい一心からなるべく古清水と云われるものの中からその模作を始めてみました。幸いなことに美しい絵を画ける作家が見つかり、写しをつくることを通して京焼というものが何なのかさぐってゆきたいと思っています。
お正月、桃の節句、お誕生日、日常生活の中にも少し華やぎを求める時、この品のよい京焼はより心を満たすものとなるでしょう。
京焼の内、粟田焼に関してのホームページがあります。粟田焼の伝統を継ぐ安田浩人さんの大変くわしい御説明です。
安田さんにはまだお目にかからせていただいておりませんが、粟田焼を現代に蘇らせたすてきな作品です。京焼をお知りになりたい方、どうぞ一度立ち寄ってみられては如何でしょうか。
二○○六年十二月
●京焼(ようびでは伏原博之さんのもの)について
江戸時代より京焼は美しく繊細で「上等のもの」として珍重されて来ましたが、土もののため水が沁みやすく、使用後乾燥が悪いと、釉(うわぐすり)の下にカビが生じてとれなくなる恐れがありました。
伏原博之さんの京焼は、江戸時代の京焼に比べると、かなり温度を上げて焼いておりますので、カビは生じにくくなっていますが、京焼独特の風合いをなくさないよう、ぎりぎりの温度設定となっています。
念のため、お使いになられる前に五分ほど水に浸して充分水を含ませ、また、長期間使われない場合は、よく乾かしてからしまってください。ご理解の上お求め下さいませ。