お肉にこだわり50年お肉にこだわり50年

広岡精肉店とは

「美味しさ!」と「元気!」をモットーに、今年で満50歳を迎えます。
これもひとえに地域の皆様からの暖かいご支援の賜物として深く感謝いたしております。
こだわりの「お肉」は、弊社バイヤーが自分の目で確かめ「これなら!絶対!」と自信を持っておすすめ出来る「牛肉」「豚肉」のみを取り揃えております。

1日1000個販売する「コロッケ」は、これまで色々なメディアに取り上げられました。
今も「手作り」にこだわり、昔ながらの「出来立て!」「美味しさ!」をお届けしています。
これからも「皆様とのご縁」を大切に…。
毎日の献立からハレの日のご馳走まで地域に愛される無くてはならない
「街のお肉屋さん!」を目指し、日々全力疾走して参ります。
これからも宜しくご愛顧いただきますようお願い申し上げます。

広岡精肉店の歴史

  • 代表取締役 廣岡 優治

    昭和39年(私の生まれた年)、
    大阪市阿倍野区昭和町にて創業
    4軒長屋の一角(約10坪)でスタートしました。

    夫婦2人に盟友(竹花光雄 番頭)の3人で始まりました。

    私の小さな記憶をたどると、店の2階で(台所と8畳一間)の店舗兼住宅に暮らし、家のテレビは白黒だったことを覚えています。

    その後、昭和45年(開店から6年後)4軒長屋の隣の10坪が空きました。
    苦労して手に入れたのだと思いますが、それを機に店も住まいも2倍(20坪)に拡張されました。現在の店構えはその時に拡張改装してから、そのまま50年近く経過しているように思います。

    当時は忙しかった。日本が高度経済成長のまっただ中で、「39年 東京オリンピック」「45年 大阪万博」と、世の中に新幹線が走り高速道路が建設され、砂利道だったのがどんどんアスファルトに舗装されていきました。

    幼い目に映る大人たちは朝から晩までとにかく忙しく働きまくってたように思います。
    声を掛けても「うるさい!今忙しいからあっちへ行っとけ!」が当たり前でした。

  • 子供ながらに芽生えた「商売魂」

    職人さんもたくさん抱えていました。
    現在の店長(松尾店長)含め、日本全国のあちこちから修行として「お肉屋さんの2代目」を預かり育てていたことを覚えています。
    最盛期は精肉部門で番頭、副番頭をはじめ若い修行人の方が常時4~5名おり、惣菜部門にも母親を先頭にパートさんを5名位抱えていたと思います。
    20坪の小さい店内に10~12名程のスタッフのいる当時は大阪でも屈指の「繁盛店」だったと記憶しています。

    家の中も「白黒テレビ」が「カラーテレビ」に変わり、「ベータビデオ」を父親が買って来た時は感動しました。近所で誰も持っていなかった、時代の最先端だったと思います。
    子供ながらに「お肉屋さんは儲かるんやな」と思ってました。

    この頃、店で忙しく働く大人達を見て、子供ながらに「商売魂」が少し芽生えて来ました。

    昭和45年頃から55年頃までは右肩上がりに絶好調だったように思います。

  • 毎朝の始まりは「コロッケ作り」

    私の小学生・中学生時代は、毎朝「コロッケ作り」から始まりました。
    毎朝5:30に母親が芋の蒸し器にスイッチを入れます。
    蒸し上がる6:30に叩き起こされ、眠たい目を擦りながら兄と私と母親の3人で湯気にまみれながら蒸し上がった熱々の「芋の芽」を一つ一つ丁寧に取り、チョッパーに入れて芋をクラッシュしていきます。
    それと並行して大きな鍋で具材作りです。玉ねぎを飴色になるまでしつかり炒め、次いでミンチ、合わせ調味料を足してじっくり混ぜ炒めます。
    両方出来上がった時点で、「クラッシュ芋」に大きな鍋で出来上がった重たい具材を2人掛かりで「フードミキサー」に投入して終了でした。約1時間の作業工程です。
    それからでしか「朝ごはん」は食べさせて貰えませんでした。
    その当時はいやいやながらも当たり前の日常で、身体中に芋の匂いが染みついたまま学校に行くのが恥ずかしかったことを覚えています。

  • 実感し始めた「商売」の面白さ

    毎年「年末」は店を手伝いました。いや、手伝わされました。
    今でこそ閑散とした商店街ですが、当時は人通りも多く「八百屋さん」「魚屋さん」「パン屋さん」「電気屋さん」と沢山の商店が軒を連ね、活気もありました。
    12/29~12/31は一年で一番忙しく、この3日間は職人さん達も連夜「徹夜作業」が当たり前の時代でした。
    私の仕事は、「焼き豚のタレ詰め」「焼き豚原料の漬け込み作業」「接客販売」の3つが主な仕事でした。
    特に辛かったのは、焼き豚原料の漬け込み作業です。
    店裏の屋外で真冬の寒い中、手はかじかみ、鼻水を垂らして凍えながら作業していたのを覚えています。
    大量の「焼き豚用のお肉」に食用の注射器を使って1本1本「タレ」を注入していきます。
    タレ味が良くお肉に染み込むよう、焼成前の大切な工程なのでしょうが子供心に「勘弁して下さい」と心の中で思ってました。
    それでも焼き豚が「飛ぶように売れていく」のを見ると、嫌な気にはなりませんでした。
    29日、30日、31日とこの3日間だけは「徹夜作業」される職人さんたちと一緒に店の2階で夕食を囲みました。鍋料理「豚の水炊き」が多かったですが、子供心に大人の「仲間入り」そして「お役立ち」を感じ取れ「商売」の面白さを実感し始めていました。

  • 昭和後半(バブル時代)から平成へ

    この頃から「商店街」の様相が変わって来ました。
    近隣に大型商業施設(スーパーマーケット、ドラッグストア等)が出来、お客様の流れも商店街から大型商業施設へと変わっていきました。
    元気だった近所の「おっちゃん、おばちゃん」が店を閉め、シャッターが開いてる店より閉まっている店の方が多い商店街へと変わってしまいました。
    我々の業績も以前のようにはいかなくなり、沢山の職人さんを抱えての「専門店」の時代は終焉を迎えました。

  • 「なくてはならない街のお肉屋さん。」
    を目指して…

    「バブル崩壊」「阪神淡路大震災」「リーマンショック」「BSE問題」等大変な世の中を乗り越えながら、平成16年に満40才「40周年」を迎えました。
    この時、提唱したのが「なくてはならない街のお肉屋さん。」です。
    ある大切な方からこのお言葉は頂きました。
    17年経た今も、この思いは変わっていません。もちろんこれからもそうです。
    街の「マスト」、「絶対必要な存在」になるということです。

    活気があったあの頃の商店街には戻れませんが
    「美味しさ!」と「元気!」を販売できる店
    お客様を「元気!」にできる店
    お客様を「笑顔!」にできる店
    ただ「美味しい!」だけではなく、それ以上の「何か!」を提供できる店
    世の中、社会に必要とされる店
    「あって良かった!広岡が」と思われる店

    勿論、この為にはまだまだそれ以上の努力が必要です。
    「品質」「サービス」「接客」はじめとして、社員、研修生、パートさん全員が一丸となってこのゴールに向かい「改良」「改善」を続けていきます。

    「BEST」は求めないと皆に伝えています。
    「BETTER」ばかりを積み重ねていく。
    「より良いこと」思い、考え、行動する。そんな店にしていきたいと思います。

    代表取締役 廣岡 優治

会社概要

社名
株式会社セレクトフーズ
設立
昭和60年12月
資本金
5,000万円
役員構成
代表取締役社長 廣岡優治
所在地
  • <本社>
    〒559-0026 大阪市住之江区平林北2丁目9番106号
    TEL:06-6685-4129
    FAX:06-6685-7576
  • <小売事業部>
    〒545-0011 大阪市阿倍野区昭和町2丁目6番10号
    TEL:06-6621-4677
    FAX:06-6621-1818
事業内容
牛枝肉の脱骨、身おろし、真空パック
牛部分肉の加工・販売
豚部分肉の加工・販売
精肉小売業・惣菜業
飲食業・セントラルキッチンサポート
主取り扱い品目
牛肉、豚肉、輸入牛肉
取扱い高
【 牛肉 】 … 3,000頭 → 1,000t(枝肉換算)
【 豚肉 】 … 15,000頭 → 500t(枝肉換算)
【輸入牛肉】 … 200t
主要仕入先
田村畜産(株)
日本ハム(株)
(株)平田牧場
南九州畜産興業(株)
宮崎乳用牛肥育組合
日本フードパッカー(株)
全農近畿畜産センター
主要販売先
(株)いかりスーパーマーケット
株式会社 廣岡
エバグリーン廣甚 株式会社
西山寛商事(株)
株式会社コノミヤ