合鹿椀 二ツ椀
輪島の故奥田達朗氏がお持ちだった合鹿椀の内、桃山時代のものとはっきり認められた(国立民芸館で)二ツ椀を頂戴して何年も何年も座右に置いて見ていました。なかなか踏み込めなかったのですが、ようやく弟志郎さんに写しを作っていただきました。
合鹿椀は分厚くて見込があまり深くないのが殆んどですが、初期のものは意外に内刳りが深いものがあり、この椀がそうでした。その刳りをもう少しだけ深くしてみましたらその分だけ軽く出来、欅の重々しさも加わってよいものになりました。
黒漆の調子もよく、野武士のような風格です。
合鹿椀や秀衡椀などの北陸や東北で出来たものは炉端で使うことを目的としたものなので、二ツ椀も三ツ椀も飯椀は大きく、汁椀は今の我々の感覚からすると少し小さいのですが、炉にかけた鍋から少しずつ何度もおかわりをする習慣だったようです。
我々の今の暮らしの中では反対に大きい方に汁またはお菜、小さい方に御飯というのは如何でしょうか。何か楽しい使い方をしていただけるとうれしいと思っています。ぜひお教えいただければと願っています。
工芸店ようび 店主 真木
桃山時代の合鹿椀 - 奥田達朗の出発点
「一の椀」(大きい方)で御飯をいただき、「二の椀」で、数度に分けお鍋のおかずをいただいていたようです。
「二の椀」は蓋の役目はありません。
合鹿椀は、石川県は柳田村合鹿で作られていた漆器のお椀です。輪島塗のルーツとも言われていますが、詳細は明らかではなく「幻の椀」とも言われています。
こちらの合鹿椀は、桃山時代のものです。
「まり椀」のしおりに『「合鹿」で生産されたと云われる椀と出会って、そのレプリカに夢中となった。』とある、故奥田達朗さんの出発点になったまさにその合鹿椀です。