Sold Out
Sold Out
創業年:2013年
2011年がファーストヴィンテッジ。借りた畑で栽培を行い、自身のワインを造っています。同じエリアで3haの畑を別途購入。今後ルーサンヌを中心に樹根し、一部グルナッシュグリ(ペティヤンを造る予定)を植える予定だったが売却、現在はトゥーレーヌはAmboise(アンボワーズ)周辺で3haの畑をレンタルしワイン造りを行っている。
畑面積:3ha
主要品種:シュナン・ブラン、シャルドネ、ソーヴィニョン
平均年間生産量:6000本
《ニコラ・ルナールの本気》
トリノからパリ、続いてロワールへ。ニコラ・ルナールの新たな出発を確認のため訪問。思えば長いつきあいとなるニコラは、他に真似できない飛びぬけたワインを造る点にかけては、疑いなく天才です。が、天才には気まぐれがつきもの。いつも内心、ワインが商品となって出てくるまで、ハラハラしどうしです。なのに、このたびは大きな嬉しい驚きでした。なんと、理想的な洞窟のカーヴを入手していたらしいのです。
今年の1月、「ワインを造ったので、よかったら会いにきてください」と、たった一行のSMSメールを受け取り、すぐさまニコラのもとに飛んでいったことはご存知の通り。2014年からアンボワーズで、シュナン・ブラン、シャルドネ、ソーヴィニョンを造ることになっており、畑の旧持ち主からセラーの一部を借りると聞いていました。
がニコラは、実際に作業をするにつれて不便を感じ、自分のセラーを持とうと思い立ち、つい最近インターネットで探し始めたところ、なんとアンボワーズの駅から10分ほどの川沿いにある、洞窟つきの廃業したネゴシアンの小さなカーヴが売りに出ていました。洞窟は一つ、奥行きは10mほどでしょうか。そうこうするうちに、隣人の洞窟も購入することになりましたが、何と奥行きは100mもあり、中で元の洞窟とつながっていました。「私も50歳、最後にいい仕事をしたいからね」とのこと。値段を聞いて高くないのに驚きましたが、幸運な物件に出会えてニコラはとても満足げ。これで長期エルヴァージュ計画も、準備は万端。
昨年、一樽だけ造ったロワール・シェールのシュナン・ブランは、さらに一年間樽で熟成するという。「やっぱり、私のドライなシュナンの原点は、ニコラにあった!」と叫ばずにいられない、素晴らしいシュナン・ブランでした。八月は好天に恵まれ、このまま行けば、2014年は良いとしになりそうです。
2011年からニコラが3ヴィンテッジ造ったサン・ペルレは、2012年と13年はまだ樽に入っています。この春リリースされた2011年は、ビン詰めから一年間たって味わいが落ちつき、美しいまとまりが出てきていました。骨格・奥行きとも姿を現し、大変おいしくなっています。今後、サン・ペルレがどうなるかわかりませんが、ラシーヌとしてはロワールに専念してもらいたいと願っています。
数年間過ごしたアルデッシュでのワイン作りも、ひとまず一段落。これからはアンボワーズの理想的な洞窟カーヴで、思い切り醸造できるようになったわけです。ニコラの前途明るい再出発を、心から喜んでおります。
ラシーヌ便り』no.122 《合田泰子のワイン便り》より、2015年12月寄稿
新年おめでとうございます。
新年を明るい話題で出発したいと思っていたところ、待望のワインの船積みが暮れぎりぎりに確定したという連絡が届きました。
一つは、我らがニコラ・ルナール。やっと。リリースです。
ラシーヌ便り108号でお知らせしましたように、「ニコラ・ルナールの本気」が姿を現します。「ヤスコ、僕を覚えてますか? ワインを作ったので見に来てください」
と、携帯からショートメールが届いたのが、2014年1月。
早速アンボワーズを訪ねて、ー樽に満たないシュナン・ブラン2013年をテイスティングし、ニコラの復活を感激のうちに祝いました。当時われらのニコラはまだローヌに住んでいて、サン・ペルレの2011年、2012年と2013年が醸造中。と同時にニコラは、ロワールでのワイン作りに向けて準備を始めていました。
ところが、2011年のサン・ペルレが無事届いた後、2012年と2013年産が予定の時期が来ても音沙汰がありません。連絡がプッツリと途切れたまま、梨のつぶてです。「また、どこかに消えちゃったのかしら?」と半ば諦めかけていました。
風来坊のニコラは、周辺の作り手とも交流がない様子。誰に聞いても、「最後に見かけたのは2003年頃のディーヴかな」という始末。フランスでも、いまや忘れられた存在も同然でした。1995年と1996年に、あのすさまじいジャニエールを作っていたことを知っている人も、もうほとんどいません。
2015年4月には、アンボワーズのセラーに様子を見にラシーヌのスタッフが行くという連絡を、期待せずに送りました。いざ訪問してみたら、ネット環境も整っていない作業場で、ニコラは寝泊まりしながらワインを作っていたのです。それで少し安心したのでしたが、2013年と2014年のシュナン・ブラン、ソーヴィニョン2014年がいつ出てくるか、待てど暮らせど連絡がありません。
「私も50歳、最後にいい仕事をしたいからね」
というニコラの言葉に歓喜していたのに、まさかのぬか喜びだったのか、と歎きながら時間が過ぎて行きました。
ところが2015年も押し詰まった12月2日になって突然、「12月7日、集荷に来てください。ラベルと印刷代用のお金が足りない」と、いきなり入金催促メールです。
ニコラもワインも無事というわけで、一同、安堵の胸をなでおろしました。
さて、2016年2月にはサン・ペルレ、シュナン・ブラン、ソーヴィニョン、が一挙に届きます。ニコラの復活を祝してロワール地方のお料理と、細身で繊細なシュナン・ブランを楽しむ会を開かなくては、と大きく期待がふくらみます。
合田泰子
合田 玲英のフィールド・ノートより、2016年3月寄稿
ラシーヌの研修員の方とともに、重要生産者を訪問した。なかでもニコラ・ルナールは異彩を放っていた。長いあいだ話に聞くだけだったけれど、初めて飲み味わった彼のワインはとても綺麗なつくりで、なんとなくイメージしていたワインと違っていた。感覚とセンスで造り上げる人かと思っていたら、話を聞くにつけ、とても論理的で細かいところまで考え抜いている。多くの生産者と話し、彼らのワインを飲みながら、独学でワイン造りを学んできたそうだ。ニコラはあまり他のワインを褒めることはないけれど、話しているとひたすらワイン造りが好きなことが伝わって来る。趣味は家具造りだそうで、ものを造ること自体が好きなのだ。
冬の剪定も春先の芽かきも3haの畑を全て独りで行っていて、多くの時間を畑の中で費やしている。セラーの中の仕事は洗うくらいしかないと言い、セラーでの作業が多いのはブドウが悪いからだ、とまで言ってのけた。ワイン用ピペットも試飲中に何度も取り替えたり、洗ったりしていた。現在醸造しているところは不動産サイトで見つけたそうで、ロワール河沿いには写真のようなセラーが簡単に見つかるそうだ。40年前までネゴシアンのセラーとして使われていただけあって、醸造環境としては理想的に思える。
畑でのボルドー液使用は、ビオの栽培でも認められている。けれどもニコラは、土壌の汚染を避けるために量を控え、極力草花の煎じ薬や春先にハーブの種をまくことで対応している。畑は2012年から借りているもので、ニコラが借りるまでに決して良い手入れをされてきた訳ではないから剪定の仕直しや環境を整えるにはかなり時間がかかる。しかし一度剪定を綺麗にし樹液の流れを正し、果樹を植えるなどして畑の周りの環境を整えればそれだけ手間をかけずに健全なブドウを手に入れられることにもつながる。写真の畑はまだまだ良い状態とは言えず、たくさんの改良の余地がある。
しかし、借りているこの畑のオーナーは、パリサージュを外すというニコラの新しい畑の仕立て方には、異論があるとか。すでにこの畑には3年も時間をかけてきているだけに、困ったことである。
パリサージュを外すことは、電磁波の影響を防ぐためであり、電磁波の強く発生する環境では病気やカビが蔓延しやすいとのこと。ニコラは畑のなかでも、その重要性について、力を入れて話してくれた。いずれにしても、自社畑は自力でまかなえる現在の3ha以上持つつもりはないよし。畑の問題は、だれにでも、いつもつきまとう問題なのだ。それにしても、完全に自分が思い通りに栽培できることが、とりわけニコラには必要なのだ。
セラー内でニコラは、金属製品を排除している。セラー内の電灯には、電圧の低いものを使う。ワインの移動には絶対に電動ポンプの動力をもちいず、手動のポンプによるか、または樽自体をフォークリフトで持ち上げて生じる位置のエネルギー(重力)を使って、スティラージュなどの作業を行う。バリックの他にワイン用のタンクとしては、グラスファイバーのものがあるだけだ。
ニコラにとっては、ワイン造りの過程において亜硫酸添加はありえない。だけれど、それを実行することは簡単なことではない、とつくづく思う。上記のことに加え、一番気を使うのは、外部の人を雇わなくてはいけない収穫の時。収穫人に求められるのは、健全なブドウを迅速に収穫すること。だけれど、選別基準を醸造家本人とどれだけ近づけられるかが問題だ。そこでニコラは収穫を始める前に、明らかに状態の悪いブドウと良いブドウを摘んできて味見させ、さらに果汁を絞って味見してもらうことから始める。品質の違いを体で感じてもらうことで、選別の精度を上げるためだ。さらに収穫は最大でも5人で行い、小さな収穫箱は使わない。小さな収穫箱は熟練の収穫人が作業するには良い。が、そうでない場合は、摘んだそばからトラクターに積まれてしまい、ブドウの品質確認ができない。だからニコラは、少し大きな収穫箱を用意する。収穫人は小さなバケツをそれぞれ持ち、バケツがいっぱいになったらそれをニコラに渡して、ニコラ自身がブドウの最終確認をしてから収穫箱に入れる。こういう手法を取っているため、ニコラ以外の収穫人は多くても4人が限界なのだ。ブルゴーニュように経験を積んだ収穫人が来てくれるような場所ならば、小さな収穫箱でも問題ないが、場所と状況が違うので、考えて対応しなくてはいけない。
聞けば聞くほど、ニコラにはワイン造りのどの工程においても独自の考えと方法がある。たくさん仕事があって大変だよとこぼすので、どうしてそこまでと聞くけば、「ワイン造りが好きだからなあ」とニカッと笑う表情が素敵だ。